2023年1月、英ガーディアン紙はVerra(世界最大のカーボンクレジット認証機関)が認証したREDD+(森林破壊・劣化由来の排出削減)クレジットの90%以上が実質的に無意味だという衝撃的な調査を公表した。この報道は自発的炭素市場(VCM:Voluntary Carbon Market)への信頼を崩壊させ、2023年のVCM取引量は前年比56%減という歴史的な落ち込みを記録した。2024年もVCM取引量は前年比さらに25%減少し、総市場価値は5億3,500万ドルと2018年以来の最低水準に落ちた(出典:CarbonCredits.com)。しかし市場崩壊と「VCMの死」という悲観論に反して、2024年には品質を軸とした市場再編が静かに進んでいた。
REDD+危機の構造:なぜクレジットは「無意味」だったのか
REDD+クレジットが抱えていた本質的な問題は、「追加性(additionality)」と「永続性(permanence)」の2点に集約される。
追加性の問題
追加性とは「そのプロジェクトがなければ排出されていたであろうCO₂を削減している」という要件だ。多くのREDD+プロジェクトでは、実際にはほとんど伐採の脅威がない森林を「守る」と設定し、「仮想的なベースライン排出量」と実際の排出量の差をクレジットとして計上していた。独立機関の検証(例:Berkeley Carbon Trading ProjectのVERRA調査)によると、対象プロジェクトの推定追加性は主張の8〜10%に過ぎないケースも存在した(出典:Ecosystem Marketplace)。
永続性のリスク
森林が保全されても、後に山火事・違法伐採・政策変更等で消失すれば炭素は大気に戻る。VCMのバッファープール制度(クレジットの一部を保険として積み立て)は想定以上の消失リスクをカバーしきれないという批判が高まった。実際、2023〜2024年に南米・東南アジアの複数のプロジェクトで「反転(reversal)」が発生し、クレジット取り消しが相次いだ。
2023〜2024年の市場崩壊データ
| 指標 | 2022年 | 2023年 | 2024年 |
|---|---|---|---|
| 取引量変化 | (ピーク) | −56%(前年比) | さらに−25% |
| 総市場価値 | 約$20億 | 急落 | $5.35億(2018年来最低) |
| 平均クレジット価格 | $15〜20/t以上 | 急落 | 約$6.0/t(前年比−5.5%) |
| REDD+価格 | 高値圏 | 記録的低値 | さらに下落継続 |
特にNature-Based Solutions(NbS)分類の森林回避クレジット(REDD+等)の価格は、改善された森林管理(IFM)との格差が拡大した。一方でIFMクレジットは取引量が3倍超に増加するなど、品質による選別が明確化している(出典:CarbonCredits.com)。
ICVCMのCore Carbon Principles(CCP):品質基準の新たな軸
2022年設立のICVCM(Integrity Council for the Voluntary Carbon Market)は、2023年にCore Carbon Principles(CCP)を公表した。CCPはクレジットの品質を担保するための10原則を規定し、登録機関(Verra・Gold Standard等)のプログラム・方法論ごとに「CCP承認」マークを付与する制度だ。CCPの10原則は以下を含む。
- 追加性(Additionality)の厳格な証明
- 保守的な定量化(Quantification)
- 永続性担保とリバーサルリスクの管理
- 独立した第三者検証
- 社会的・環境的セーフガード
- 持続可能な開発(SDGs)への貢献
CCPの市場効果は2024年後半から顕著に現れた。CCP承認を受けたランドフィルガスプロジェクトのクレジットは取引量が3倍に増加し、価格も下半期に35%上昇した。これはCCP承認が実際の購買意思決定に影響していることを示している(出典:CarbonCredits.com)。
除去クレジット(Removal Credits)の台頭
2024年のVCMで最も顕著なトレンドは除去クレジット(大気中のCO₂を物理的に除去するプロジェクト由来)の価格プレミアムだ。除去クレジットの平均価格は回避クレジット(排出を防ぐプロジェクト)と比較して381%高い水準で取引された。除去プロジェクトには以下が含まれる。
- 技術的除去(CDR):DACCS(直接空気回収+貯留)、BECCS(バイオエネルギー+CCS)、バイオ炭(Biochar)
- 自然的除去(NbS除去):植林・再植林(厳格な永続性確保が条件)、ブルーカーボン(海草・マングローブ)
特にバイオ炭・DACCS系クレジットは$50〜300/t以上で取引されるケースもあり、高品質な除去クレジット市場の形成が加速している。企業がNet Zeroを宣言する際に「残余排出量のオフセット」として除去クレジットの使用が求められる文脈でも需要は堅調だ(出典:Ecosystem Marketplace)。
Article 6との連動:VCMの将来設計
2024年COP29でようやく合意されたパリ協定第6条(Article 6)ルールブックは、VCMの将来に重大な意味を持つ。Article 6.4メカニズムが機能し始めると、政府承認のカーボンクレジット(ITMOs)と民間VCMの位置づけが整理され、ダブルカウント防止の仕組みが明確化される。この枠組みの下では、ICVCM CCPとの整合が取れたクレジットのみがArticle 6.4で認められる可能性があり、CCPへの準拠が市場標準になる道筋が見えてきた(出典:Carbon Direct)。
2025年以降の市場再建シナリオ
- 量より質の市場:取引量の回復より価格の安定・上昇が先行。CCP承認クレジットとそれ以外の二層構造が定着。
- REDD+の選別:IFM(改善された森林管理)・ブルーカーボン等の高品質NbSは残存。追加性が疑わしい低品質REDD+は市場から駆逐される。
- 除去クレジットの主役化:Net Zero達成が近づく2030年代に向け、除去クレジット需要が急拡大。技術系CDRは供給が限られるため価格上昇が続く見通し。
- Article 6連動の加速:2025〜2026年にかけてArticle 6.4の運用開始が具体化すれば、国際的な信頼性付与でVCM全体の信認が回復する可能性がある。
実務への示唆:企業のVCM調達戦略
CCPを取得したクレジットへの絞り込みが第一歩となる。ICVCMのCCP承認リストに掲載された承認済みメソドロジーのクレジットのみを調達対象とし、CCP未承認のREDD+は、取引相手にとっても資産価値が低下するリスクを抱えている点を前提に据えるべきである。あわせて、2030年以降に必要となる除去クレジット(残余排出量のオフセット用)を今から長期契約で確保しておくことも検討に値する。価格水準という観点では、現在が有利なタイミングである可能性がある。
コーポレートクレームの基準確認も欠かせない。VCMIのClaims Code(Scope 3 Insetting等)に基づき、自社のカーボンニュートラル・Net Zeroクレームに使用できるクレジットの種類を精査する必要がある。安価なREDD+を用いたクレームは、規制当局や投資家からの批判を招くリスクが高いためである。
最後に、日本国内のJクレジットとの使い分けを整理しておきたい。VCMクレジットは制度が異なるため、GXリーグや規制目標には使えない場合が多い。GXリーグにはGXリーグ指定クレジット、規制目的にはJクレジット、自主的なNet ZeroクレームにはVCMという棲み分けを、あらかじめ社内で明確にしておくことが実務上の混乱を防ぐ。
参考文献
- CarbonCredits.com — VCM Makeover in 2024: Trading Drops 25%, Removals Soar 381%
- Ecosystem Marketplace — VCM Contracted in 2023
- Carbon Direct — State of the VCM 2023
- Mongabay — The Future of Forest Carbon Credits (2024)
- ENGIE Impact — Voluntary Carbon Market Trends
まとめ
品質を軸に再編されるVCMの中で企業のGX・サステナビリティ担当者がまず押さえるべきは、調達基準そのものをICVCMのCCP承認クレジットへ寄せることである。CCP未承認のREDD+は資産価値の低下と批判を受けるリスクが高く、承認済みメソドロジーを優先する判断が調達ポートフォリオの健全性を左右する。あわせて、2030年以降に必要となる残余排出量オフセット用の除去クレジットは供給が限られ価格上昇が見込まれるため、価格水準が有利な今のうちに長期契約で先行確保しておくことを検討したい。
クレジットの「使い方」の整理も同時に進める必要がある。VCMIのClaims Codeに沿って自社のカーボンニュートラル・Net Zeroクレームに使用可能なクレジットの種類を確認しておけば、低品質クレジットに起因する規制・投資家リスクを回避できる。国内制度との関係についても、GXリーグ指定クレジット、規制目的のJクレジット、自主的Net ZeroクレームのVCMという用途区分を明確にし、目的に応じて使い分ける棲み分けの整理が求められる。
市場の標準化はArticle 6.4とCCPの整合という形で進みつつあり、その動向を注視しながら、将来的にも通用する高品質クレジットへ調達をシフトしていけるかが問われている。今後、品質基準が事実上の市場インフラとして定着していく局面に向けて、各社の調達方針とクレーム設計がどこまで先を見据えて組み立てられているかが試されることになる。