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海運脱炭素の実装技術:風力推進・船上CO2回収・アンモニア燃料の損益分岐

(本稿の情報は2026年10月時点)

この記事の結論

  • 商用化に到達した海運脱炭素技術は、削った燃料か捨てたCO2に買い手がいるものだけである。
  • 風力推進装置の搭載船は2026年6月に100隻を超え、今後1年で200隻へ倍増する見込みだ。
  • 燃料転換の投資判断は、2026年10月のIMO臨時会合で炭素価格が確定するまで動かない。

2023年に資金を集めた海運脱炭素スタートアップのうち、2026年10月時点で実船に載り収益を生んでいるのは、代替燃料ではなく後付けできる省エネ・排ガス装置である。理由は単純だ。燃料転換の原資になる世界共通の炭素価格が、まだ決まっていない。

規制の価格が決まらないまま延期された

IMOの中期対策「Net-Zero Framework(NZF)」は2025年4月のMEPC 83で承認された。ところが2025年10月14〜17日の臨時会合で、採択投票そのものが1年延期された。延期に57ヶ国が賛成、投票続行が49ヶ国、29ヶ国が棄権または不在という結果である。再開は2026年10月、発効は最短で2028年3月1日。対象は5,000総トン超の外航船で、国際海運の排出の85%以上を覆う。

NZFは燃料のGHG強度(GFI)に二段の目標を置き、不足分には是正単位の購入を課す。2028〜2030年の価格は、直接購入に当たるTier 1が100ドル/t-CO2eq、基準超過分のTier 2が380ドル/t-CO2eqだ。2031年以降の価格は2032年末までに決める設計になっている。つまり船主は、2028年以降のコストを前提に2026年の投資を決める立場に置かれている。

欧州だけは先に価格がついた。EU ETSの海運適用は2026年1月1日に無償枠が消え、域内航海でVLSFOを1トン燃やすごとの負担が2025年末の約220ドルから約319ドルへ、45%上がった。FuelEU Maritimeは不足1トン(VLSFO換算)あたり2,400ユーロの固定罰金で、連続違反には10%、20%、30%と増率が乗る。欧州航路の船だけは、削減が今日の金額に変換される。投資がそこに集中しているのは合理的な反応に過ぎない。

選択肢を並べると、投資の順番は一つに絞られる

技術 検証された削減幅 商用化段階(2026年10月) 回収の原資 主なリスク
吸引帆・ローター帆(既存船に後付け) 航海平均15〜20%、区間最大40% 商用。搭載船100隻超 燃料費+EU ETS・FuelEU 風況と航路、生産枠の確保
硬翼帆(日本) 帆稼働時の日最大17%、1航海平均5〜8% 商用。2030年までに25隻計画 燃料費+EU ETS・FuelEU カタログ値と実測の乖離
船上CO2回収(カルシウムループ) CO2最大95%、硫黄98% 商用1隻(セメント船) 回収CO2の買い手+EU ETS控除 陸側のCO2受入港が世界10港未満
船上CO2回収(アミン) 捕集率70〜95% 実証から初期商用 54〜76ドル/t-CO2のコストとEU ETS控除 燃費ペナルティ9〜30%
アンモニア燃料機関 GHG90%超(全負荷で約95%) 実証。タグボート1隻が商業運航 規制価格のみ 燃料価格差、毒性
水素デュアルフューエル機関 CO2最大85% 港湾作業船で実証 規制価格のみ 燃料供給と搭載容積
メタンスリップ低減(プラズマ触媒) メタン90%低減 AiP取得と実船パイロット FuelEUのWell-to-Wake評価 IMO規則の遅れ
船舶用LFP電池 短距離航路でゼロエミッション 商用 燃料費と港湾規制 航続距離、セル調達先

この表で有利なのは上の2行だけだ。風力推進は燃料費という既にある財源で回収でき、規制が遅れても損にならない。船上CO2回収は3行目のように回収したCO2の買い手が決まっている航路でだけ成立する。下の4行は、規制価格がついて初めて投資になる。アンモニアと水素の実証値が立派であることと、その船が買われることは別の問題である。

燃料転換が自力で回らない理由

燃料 価格水準 VLSFO・重油等価での負担 時点
VLSFO 500〜800ドル/t 500〜800ドル/t 2026年の想定レンジ
グリーンアンモニア 885〜1,050ドル/t 重油1t置換あたり1,900〜2,250ドル/t 2025年初
e-メタノール(認証付き) 1,600〜2,400ドル/t — 2026年の生産コスト

試算してみる。前提はVLSFO 1トンの燃焼で約3.1トンのCO2が出ること、Tier 2価格380ドル/t-CO2eqを全量に当てることだ。この仮定なら燃料1トンあたり約1,180ドルが上乗せされ、実効コストは1,680〜1,980ドル/tになる。グリーンアンモニアの重油等価1,900〜2,250ドル/tとほぼ肩を並べる。だが是正単位が課されるのは目標との不足分だけで、全排出量ではない。実際の上乗せはこの試算より小さく、燃料転換は2028〜2030年の価格水準でも自力では回収できない。2026年3月に生産地渡しで710ドル/tというアンモニアの実勢価格も報じられたが、1例の生産設備渡しであり、世界の給油網の価格ではない。

風力推進は生産枠の争いに入った

国際風力推進協会(IWSA)の集計では、2026年6月1日に風力推進装置を搭載または搭載準備済みの大型商船が100隻を超えた。装置の数は230基超、合計600万重量トン超である。内訳はタンカー37隻、ばら積み船24隻、ロールオン・ロールオフ旅客船24隻、一般貨物船19隻。IWSAは今後12ヶ月で200隻への倍増を見込む。

この市場で資本を最も集めたのはスペインのbound4blueだ。2025年12月9日に4,400万ドルを調達し、シンガポールのOCTAVE CapitalとノルウェーのKatapult Oceanが主導した。Motion Ventures、Odfjell家のファミリーオフィス、ReOcean Fundなども加わっている。吸引帆eSAILの搭載は7隻、受注残は12隻・50基超。顧客はMaersk Tankers、Eastern Pacific Shipping、Odfjell、Klaveness Combination Carriers、BW Epic Kosanで、荷主ではなく船主が自腹で買っている。公表された削減実績は平均15〜20%、航海の区間では最大40%、1日あたり1.7トン(ピーク5.4トン)の燃料節約だ。同社はスペインと中国で並行生産ラインを立て、2027年に年40万トンのCO2削減を目標に置く。

英Anemoiのローター帆は、2026年初にUnion Maritimeの18,500重量トン型タンカー2隻へ、2027年半ばにはMaerskの8,700TEU型コンテナ船へ高さ35メートルの固定式が載る。コンテナ船への搭載は世界初だ。受注残はハンディサイズからVLOCまでのばら積み船が中心で、中国に生産拠点を構え2027年に年産200基を目指す。オランダのEconowindは2026年4月に外航船向けの大型機「5-series VentoFoil」を投入し、同年8月にLeonhardt & Blumbergの新造貨物船HANSA DREJOEへ初号機を搭載した。推力の上積みは約10%とされる。

商船三井の硬翼帆ウインドチャレンジャーは、1号船の松風丸で帆稼働時の日最大17%、1航海平均5〜8%の燃料節減を確認した。2024年5月27日の発表では、ばら積み船6隻と多目的船1隻への搭載を決め、ばら積み3隻は2026年下期から2027年上期の竣工である。見込みは帆1本で年平均約7〜16%、ローター帆を併用する船で約15〜28%、多目的船のVentoFoil 2基で約2%。2030年までに25隻という目標を置いている。

CO2回収は、買い手が航路の終点にいる場合に成立する

英Seaboundは2026年2月3日にフルスケール初号機の完成を発表し、欧州宇宙機関から150万ユーロの支援を受けた。実機はセメント運搬船UBC Cork(5,700総トン、Hartmann所有・InterMaritime管理、Heidelberg Materialsが傭船)に載り、CO2を最大95%、硫黄を98%回収する。方式はカルシウムループで、消石灰がCO2を吸って石灰石に変わり、船上に固体で積まれる。その石灰石はノルウェーのブレビクで陸揚げされ、同社のセメント工場で原料になる。2025年8月には英政府のCMDC6で110万ポンドを得て、STAX Engineeringと南安普頓港での陸側統合に進んだ。

この1隻が成立したのは、技術が優れていたからというより、CO2の買い手が航路の終点にいたからである。業界全体の数字は厳しい。成熟系で捕集率70〜95%、Wärtsiläの資本費と運転費の合計は54〜76ドル/t-CO2、MRタンカー改造の検討では69ドル/t-CO2と出ている。これに対し燃費ペナルティは構成次第で9〜30%、CO2の受入設備がある港は世界で10港に届かない。現行のEEXIとCIIは回収分を算入せず、EU ETSだけが回収・貯留分を排出量から除く。IMOは船上回収の規制枠組みを2028年に仕上げる作業計画を採択した段階である。

規制の順番が、ビジネスの順番を決めている

スイスのDaphne Technologyは、LNG燃料機関のメタンスリップをプラズマ触媒で90%減らすSlipPureを開発し、LRとDNVの基本承認を得て、AngelicoussisのLNG船Maran Gas Chiosで実船パイロットに入った。だが2026年4月20日にTaranis主導でCHF1,500万の1次クローズを済ませた同社が資金を向けたのは、米国の製造能力である。2025年1月には米エネルギー省からWilliamsと約600万ドルの助成を受け、陸上のガス機関4基に載せる。船より陸が先に来た理由は規制の順番だ。FuelEUはWell-to-Wakeでメタンを罰するが、IMOの世界共通ルールは1年遅れた。

同じ力学は事業会社側にも働く。ノルウェーのYara Marine Technologiesは、船舶最適化から風力推進、排ガス処理、陸上電力までを束ねた会社だったが、2024年2月に親会社のYaraがジュネーブのOkapi Supply Trading Advisoryへ売却した。Yaraは食料とクリーンアンモニアに投資を集中するという説明である。海事グリーン技術の「詰め合わせ」は、産業用ガスの本業より価値が低いと判断されたことになる。

海事データの収益化はさらに難しい。サプライチェーン可視化のFourKitesは累計2億4,300万ドルを調達し10億ドルの評価を得たが、2021年に買収した海上書類管理Havenを2024年中に廃止した。CEOは書類モジュールがコンテナ1本あたり約50ドルのコストを食い、顧客ごとの個別対応で拡張できないと述べている。人員削減も実施した。他方で燃費最適化やGHG報告は、EU ETSとFuelEUが削減額を金額に変換するため、データの価値が確定する。海事DXで儲かる領域は、規制が値段をつけた部分に限られている。

電池は航路が限られる一方で、コスト曲線の主導権が移った。ノルウェーのCorvus Energyは2025年12月のMoUを経て、2026年5月13日に深圳のCIBF 2026でBYD Energy Storageと戦略的協業契約を結び、高レートのLFP船舶用システムを共同開発する。セルは中国、統合と船級対応はノルウェーという分担だ。

風力推進の削減率をどこまで信じられるか — 課題と反論

最大の論点は、カタログ値と実測の差である。松風丸の日最大17%と1航海平均5〜8%は同じ船の数字だ。前者で回収年数を計算すれば、投資判断は3倍近く甘くなる。bound4blueの15〜20%は独立検証を謳うが、航路、船型、運航速度で変わる。減速航行が同時に進んでいる船では、風力の寄与と速度低下の寄与を分離しづらいという批判も成り立つ。

代替的な見方として、風力推進の経済性は燃料費だけで決まらない。回収の半分近くを支えているのはEU ETSとFuelEUという欧州の価格であり、この制度が政治的に巻き戻されれば回収年数は延びる。逆に2026年10月のIMO臨時会合でNZFが採択されなければ、欧州以外の航路に風力や船上回収を入れる金銭的な理由は薄いままだ。装置メーカーの生産能力拡張は、その採択を先取りした賭けでもある。

アンモニアには別の限界がある。実証で得られたGHG90%超という数字は全負荷という条件付きで、毒性と亜酸化窒素の扱いは規則として固まっていない。燃焼ではなくアンモニアを分解して燃料電池で使う米Amogyの方式はNOxを出さないが、同社自身は2025年に5,600万ドル(1月、Aramco VenturesとSV Investmentが共同主導)と2,300万ドル(7月、韓国産業銀行系が主導)を調達しながら、軸足を船舶からデータセンターなど陸上電源へ移している。韓国・浦項でGS建設とHD現代インフラコアと組む1MW機の2026年稼働、2028〜2029年の40MW商用機という計画も陸上だ。三菱商事とSKとの協業は日韓での大規模展開を探るもので、船向けには三菱と動力システムの概念設計を終えた段階にある。累計調達2億7,000万ドルを超える企業の判断が陸に傾いていること自体が、海運の規制価格が決まるまで船は買われないという市場の読みを映している。

日本市場・日本企業への示唆

日本の強みは機関と船級にある。アンモニア燃料タグボート「魁(さきがけ)」は日本郵船、IHI原動機、ClassNK、新日本海洋社の体制で2024年8月23日に竣工し、東京湾での3ヶ月の実証を経て2025年3月から商業運航に入った。GHG削減は90%超、全負荷時は約95%に達している。NEDOグリーンイノベーション基金の次世代船舶プロジェクトは、国産エンジンを積むアンモニア燃料アンモニア輸送船を2026年11月の竣工に向けて進めている。日本郵船、IHI原動機、ジャパンマリンユナイテッド、ジャパンエンジン、ClassNKという座組みで、エンジンと船級を自国で揃えられる体制は欧州のスタートアップが持たない資産だ。

海外の回収モデルをそのまま持ち込めない理由は制度にある。風力推進や船上回収の経済性は、域内航海でVLSFO 1トンあたり319ドル(2026年1月から)というEU ETSと、不足1トンあたり2,400ユーロというFuelEUに支えられている。日本発着のアジア航路にこの価格は存在しない。GXリーグやJ-クレジットは国際海運の船舶燃料を対象にしていない。したがって日本の船主と荷主の回収計算は、欧州航路に投入する船か、NZFが2028年に発効する前提か、そのどちらかに依存する。前提が外れたときに残るのは燃料費分の削減だけで、それで回る装置は風力推進に限られる。

川崎汽船が取った形は検討に値する。同社は自動カイトSeawingを開発したフランスのAirseasを2024年2月に買い取り、仏子会社OCEANICWINGとして抱え込んだ。300平方メートルの凧による陸上試験の第1段階は2025年6月に完了し、同年7月から大型化した第2段階に入り、2026年3月には2つの船級協会から張力性能の第三者レビュー認証を得ている。洋上実証は自社のばら積み船で行い、2027年頃の実用化と10%超の燃料削減を狙う。51隻分の搭載を約した大口顧客が、最後に会社そのものを取り込んだ構図である。単一顧客に依存した技術企業は資金ではなく顧客に買われる、という教訓と読める。

生産枠の確保は2027年の論点になる。Anemoiは中国工場で2027年に年産200基、bound4blueはスペインと中国の並行ラインに入り、Econowindも極東での生産を組む。英Smart Green Shippingは大西洋航路で年最大30%という試算を示しながら累計調達は約527万ドル、直近の資金調達は2024年10月のシードにとどまる。英Windship Technologyは36メートルの三翼索具を15,000重量トン型ばら積み船にCO2回収装置と併せて載せる英国の助成を得たが、サウサンプトン大学の保守的な推計は年30%、DNVの評価でも風力・太陽光・回収・廃熱回収の合計で運航燃料49%削減という段階だ。独CargoKiteは2022年設立でプレシードのまま、Lomarlabsと組む小型船の初号を2027年に置いている。同じ風力でも4,400万ドルと500万ドル台に分かれた差は、技術の優劣ではなく「今日の船に後付けできるか」の差である。日本の船主は2027〜2028年の生産枠を今押さえる側に立つか、後から高い価格で買う側に回るかを選ぶ局面にいる。

金融機関が融資審査で見るべきものも、ここから決まる。削減率のカタログ値ではなく、対象船の実航路での実測値と、その航路に炭素価格があるかどうかだ。船上CO2回収については、受入設備のある港が世界で10港に届かない以上、陸揚げ先が契約で固定された定期航路以外に担保価値を認めるのは早い。

まとめ

2026年10月の海運脱炭素は、技術の優劣ではなく回収の原資で整理できる。燃料費という既存の財源で回収できる風力推進は、搭載船100隻超という実績と4,400万ドル規模の資金を集め、生産能力の争いに移った。回収したCO2の買い手が航路の終点にいるセメント輸送では、船上回収が1隻目の商用に到達した。これに対しアンモニアと水素は、実証値では90%前後の削減を示しながら、規制価格という未確定の財源しか持たない。だから最も資金を集めたアンモニア企業が船から陸上電源へ軸足を移し、メタンスリップ対策の企業が船より先に米国の陸上ガス機関へ向かった。

日本にとっての論点は、国産エンジンと船級という強みを、価格のない航路でどう事業にするかである。欧州はEU ETSとFuelEUで先に値段をつけ、その価格が装置の投資回収を支えている。アジア航路に同じ価格がない限り、日本の船主が欧州と同じ計算で装置を入れることはできない。現実的な順序は、欧州航路に投入する船から風力推進を入れ、実航路の削減実測を積み、アンモニア燃料船は国の実証枠と自社の輸送契約で先行させることだ。川崎汽船が技術企業そのものを抱え込んだのは、供給が細い領域で確実に装置を得るための選択でもあった。

2026年10月のIMO臨時会合でNet-Zero Frameworkが採択され、2028年3月の発効へ進むかどうかが、燃料転換投資の分水嶺となる。採択されれば2028〜2030年の100ドルと380ドルという価格が計算の基礎になり、アンモニアと船上回収の投資判断が初めて成立する。再び流れれば、2030年までの海運脱炭素は欧州航路の風力推進と燃費最適化に閉じ込められ、日本の造機・造船が積んだアンモニア技術は輸出先を失う。この1ヶ月の結果を見てから動くのでは、2027〜2028年の装置生産枠には間に合わない。

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