分析記事 業界別ケース

鉄鋼業の脱炭素パス:高炉→DRI-EAF転換のコスト・経済性・日本大手のロードマップ2026

鉄鋼業は世界のCO₂排出量の約8%を占め、産業部門では最大の排出源の一つだ。高炉-転炉(BF-BOF)プロセスは1トンの粗鋼生産に平均2.3 tCO₂を排出するのに対し、水素直接還元製鉄+電気炉(H₂-DRI-EAF)ルートでは0.46 tCO₂/t(グリーン水素使用時)まで削減できる。2026年に入り、鉄鋼脱炭素をめぐる事業環境は制度面で大きく変わった。EUのCBAM(炭素国境調整メカニズム)は2026年1月1日から定義期間(本格適用)に移行し、EU域内の無償割当も同年から段階的に縮小が始まっている。日本国内でもGX-ETSが2026年度から排出量10万tCO₂/年以上の企業に義務化され、鉄鋼各社は「制度が来るかどうか」ではなく「既に始まった制度の下でどう投資回収するか」を問われる局面に入った。

一方、技術・投資サイドでは楽観と後退が同居している。スウェーデンのHYBRITプロジェクトは6年間の研究成果として5,000トン超の化石燃料フリー鉄の製造に成功し産業規模への移行段階に到達した反面、ArcelorMittalは2025年にドイツ国内のDRI-EAF計画を取り下げ、欧州の複数プロジェクトが計画の見直し・後ろ倒しに動いた。日本では日本製鉄が2025年5月30日発表の総投資額8,687億円(政府補助最大2,514億円)の電炉転換投資(対象は九州製鉄所八幡地区〈北九州市〉、瀬戸内製鉄所広畑地区、山口製鉄所周南地区の3拠点・電炉3基、合計約290万t/年)を進め、JFEスチールも総投資額3,294億円(うち政府補助1,045億円、補助金控除後の実質負担額は約2,249億円)を投じる倉敷製鉄所200万t/年電炉計画(2028年4〜6月=2028年度第1四半期稼働予定)を建設段階に移している。本記事では2026年8月時点の状況を踏まえ、鉄鋼脱炭素の技術経済学・主要プロジェクト・日本の戦略と課題を詳解する。

技術比較:BF-BOF vs DRI-EAF

鉄鋼製造の主要2ルートは排出強度が根本的に異なる。

ルート CO₂排出強度 BF-BOF比削減率 現在の世界シェア
BF-BOF(高炉-転炉) 2,300 kg CO₂/t 基準 約70%
DRI-EAF(天然ガス還元) 1,430 kg CO₂/t −38% 約6%
DRI-EAF(水素還元) 460 kg CO₂/t −80% パイロット段階
DRI-EAF(水素+CCS) 180 kg CO₂/t以下 −92%以上 研究段階

DRI(直接還元鉄)は、鉄鉱石を溶融せずに水素または天然ガスで還元し固体のまま鉄を得るプロセスだ。得られた海綿鉄(スポンジアイアン)またはHBI(熱間圧縮成形)をEAFで溶解・精錬する。高炉を使わないため、石炭コークスが不要でCO₂排出を劇的に削減できる(出典:Global Efficiency Intel — Green Steel Economics)。

水素DRI-EAFの経済性:グリーン水素コストと損益分岐点

コスト構造の現状

  • グリーン水素市場価格:$4〜8/kg(再生可能電力電解)。2024〜2025年の水準から大幅な低下は確認されていない。
  • 競争力目標:$2〜3/kg以下(H₂-DRI-EAF がBF-BOFと同等のコストになる水準)
  • 天然ガス水素(参考):$1.5〜2.0/kg(移行期の橋渡しルートとして有効)

電解装置コストの低下ペースが当初想定より緩やかで、欧州の電力価格も高止まりしているため、「水素価格が自然に下がるまで待つ」戦略の合理性は2026年時点でむしろ低下している。実際に稼働段階へ進んだプロジェクトの多くは、初期は天然ガスDRIで立ち上げ、水素への切り替えを後段に置く二段構えを取っている。

炭素価格別の損益分岐点(カーボン価格シナリオ分析)

炭素価格シナリオ 同等になるH₂価格 現実性
炭素税ゼロ $1.4〜2.0/kg 2040年代以降に実現可能性
$30/tCO₂ $2.2/kg 2035年頃の目標水準
$50/tCO₂(EU ETS水準) $3.3〜4.0/kg EU ETSで既に達成水準に近い
$80〜100/tCO₂ $4〜5/kg 現在のグリーンH₂価格で採算可能

現在のグリーン鉄鋼プレミアムは約93%。熱延コイル(HRC)でグリーン鉄鋼は€910/t、従来鉄鋼は€472/t(2024年水準)。この価格差を埋めるには強い炭素価格か、グリーン鉄鋼への付加価値プレミアム需要(欧州自動車・建設業からのグリーン調達要求)が必要だ(出典:Transition Asia — Green Steel Economics 2024)。CBAM定義期間の開始とEU域内無償割当の段階的縮小は、この差を縮める方向に作用する制度要因である。

設備投資コスト比較

BF-BOFの設備投資は年産能力1t当たり€400〜500/t能力が基準水準であり、これに対する各ルートの増加率は以下の通りだ。

ルート 設備投資(BF-BOF比) 位置づけ
BF-BOF(従来) 基準 従来技術
DRI-EAF+CCS +7% 最も安価な低炭素オプション
H₂ DRI-EAF(ブルー水素) +18% 天然ガス+CCSで中間的なコスト
H₂ DRI-EAF(グリーン水素) +79% 最も高い初期投資

大型統合プロジェクト(電解槽・DRIプラント・EAF・二次精錬すべて含む)では€1,500〜2,600/t能力に達するケースもある(Stegra〈旧H2 Green Steel〉のボーデン拠点では投資額は€65億と報じられており、250万t/年能力換算で€2,600/t能力に相当するとされる)(出典:DIW Berlin — Revisiting Investment Costs for Green Steel)。

HYBRIT(スウェーデン):世界最先端の実証プロジェクト

HYBRITはSSAB(製鉄)・LKAB(鉄鉱石)・Vattenfall(電力)の3社合弁で2016年に設立。6年間の研究開発を経て2024年8月、産業規模への移行に向けた研究完了を発表した(出典:SSAB — HYBRIT 6 Years Research 2024)。

  • 実績:パイロット工場で5,000トン超の化石燃料フリーDRI製造成功
  • 品質:化石燃料由来の鉄と同等以上の製品品質を確認
  • 顧客導入:Volvo Group・Epiroc・Peabが化石燃料フリー鉄鋼を自社製品に採用
  • 特許:成功した実証に基づく複数の特許出願・承認

2025年2月には大規模水素貯蔵の技術実証に成功。変動する再生可能エネルギーに合わせて水素を貯蔵・利用できる仕組みが確立され、変動運転コストを最大40%削減できることが示された(出典:Vattenfall — HYBRIT Hydrogen Storage 2025)。

HYBRITが完全稼働すればスウェーデン全CO₂排出量の10%超を削減し、フィンランドのCO₂排出量も7%削減できる試算だ。SSABはオクセレスンド製鉄所の電炉転換を先行させ、産業スケール実装のフェーズに入っている。

欧州主要グリーン鉄鋼プロジェクト(2026年8月時点)

プロジェクト 企業 投資額 能力(年) 竣工目標 状況
HYBRIT(スウェーデン) SSAB・LKAB・Vattenfall €20億超 産業スケール 産業移行フェーズ パイロット完了・実装段階
ボーデン拠点(スウェーデン) Stegra(旧H2 Green Steel) €65億 250万t 当初計画から後ろ倒し 建設中
tkH₂Steel(デュイスブルク) ThyssenKrupp 約€30億(うち政府補助€20億) 250万t(DRI) 2027年前後 建設中・運転計画を見直し
SALCOS(ザルツギッター) Salzgitter €30〜40億 段階的転換 段階的 100MW電解槽稼働
ブレーメン/アイゼンヒュッテンシュタット ArcelorMittal 2025年6月に計画中止

Stegra(2024年にH2 Green Steelから改称)のボーデン拠点は将来的に500万t/年への拡張を計画しているが、稼働開始時期は当初計画から後ろ倒しとなっている。SALCOSは2033年までに95%のCO₂削減を目標としている。ThyssenKruppはtkH₂Steelの建設を継続しつつ、水素供給とエネルギーコストの見通しを踏まえ、立ち上げ時の還元ガス構成(天然ガス先行運転)を含む運転計画の見直しを進めている。

最も大きな後退はArcelorMittalだ。同社は2025年6月、ドイツ・ブレーメンおよびアイゼンヒュッテンシュタットで計画していたDRI-EAF転換を進めない決定を下し、ドイツ政府から確保していた約13億ユーロの補助金を返上した。高エネルギーコスト、グリーン水素供給の不確実性、そしてグリーン鋼材のプレミアム需要が想定ほど立ち上がらなかったことが理由として挙げられている(出典:ArcelorMittal — Update on European Decarbonisation Plans)。欧州の教訓は明確で、補助金があっても運転コスト(電力・水素)とプレミアム需要の裏付けがなければ最終投資判断は成立しない。

日本製鉄・JFEスチールの投資戦略

日本製鉄:大規模電炉転換投資と海外DRI戦略

日本製鉄は2025年5月30日、GX(グリーントランスフォーメーション)推進投資として総投資額8,687億円・政府補助最大2,514億円の電炉転換計画を発表した。対象は九州製鉄所八幡地区・瀬戸内製鉄所広畑地区・山口製鉄所周南地区の3拠点で、大型電炉3基(合計約290万t/年)を新設する(出典:Nippon Steel GX Initiatives 2025)。

  • 九州製鉄所八幡地区(北九州市):世界初の統合型大規模高品質電炉システムを構築。200万t/年電炉能力。稼働時期:2028年度下期〜2029年度下期。
  • 瀬戸内製鉄所広畑地区・山口製鉄所周南地区:上記3拠点計画に含まれる電炉新設で、八幡と合わせて合計約290万t/年の能力となる。
  • COURSE50技術:高炉への水素吹き込み+CCSの近中期技術。2030年頃の本格展開を目指す。
  • 海外DRI調達:伊藤忠商事と連携したUAEでの天然ガスDRI(250万t/年)→長期的に水素DRIへ移行(2040年頃目標)。

JFEスチール:倉敷200万tEAF+UAE天然ガスDRI

JFEスチールは2025年4月、倉敷製鉄所(西日本製鉄所)への総投資額3,294億円(うち政府補助1,045億円、補助金控除後の実質負担額は約2,249億円)による200万t/年電炉設備計画の正式決定を発表した。稼働時期は2028年4〜6月(2028年度第1四半期)を目標としている(出典:Fastmarkets — Japan Steel DRI)。

  • UAE DRIプロジェクト(長期):Emirates Steel Arkan+伊藤忠(鉄鉱石調達)との合弁。天然ガスDRI 250万t/年製造→日本へHBI(熱間圧縮成形鉄)輸出。稼働目標:2027〜2028年。2040年頃に天然ガス→グリーン水素への転換を計画。
  • 戦略的合理性:日本国内の再生可能エネルギー賦存量が低いため、再エネ資源豊富な中東・オーストラリアで水素DRIを製造し日本に輸入するモデルが経済的に優位。

日欧の対比で見れば、欧州が「水素前提の一気通貫転換」で足踏みしているのに対し、日本勢は「スクラップ+天然ガスDRIで電炉を先に立ち上げ、還元ガスを後から脱炭素化する」という段階戦略を選んだ。2026年時点の欧州の状況は、この段階戦略が結果的に現実解に近かったことを示唆する一方、最終的な削減深度が浅く止まるリスクも同時に抱えている。

日本鉄鋼脱炭素の課題:「デスバレー」問題

日本固有の課題は脱炭素への経路が欧州と根本的に異なる点だ。

  • 国内炭素価格シグナルの弱さ:GX-ETSは2026年度から排出量10万tCO₂/年以上の企業に参加が義務化され、日本でも本格的な排出量取引の運用が始まった。ただし価格の上限・下限を設ける制度設計であり、EU ETSのような数十ユーロ/tCO₂規模の価格シグナルには達していない。有償オークションの導入は2033年度、化石燃料賦課金は2028年度からと、価格が本格的に効いてくるのは電炉稼働後という時間差がある。CBAM経由でEU向け輸出コストが増加する一方、国内価格シグナルが相対的に弱いため、国内販売分については投資回収の裏付けが弱いままだ。
  • 石炭税免税の継続:コークス用炭の法定免税は2029年3月まで継続。脱炭素への経済的インセンティブが実質的に先送りされている。
  • 水素インフラの未整備:グリーン水素の国内製造コストが高く、2040年代まで本格的な水素DRI転換が困難。海外DRI輸入モデルに依存する構造が必然的に発生する。
  • 設備更新サイクルとの整合:日本の高炉の多くが2030年代に耐用年数を迎える。この設備更新機会に電炉・DRI転換を行うかどうかが各社の長期戦略の分岐点になる。
  • スクラップと電力の制約:電炉比率の引き上げは良質スクラップの確保と電力コストに直結する。国内スクラップの輸出圧力と電力価格の動向が、2028年以降の電炉稼働の実質的な採算を左右する。

日本の鉄鋼会社が2030年に達成できる削減率は30%程度(主に電炉転換と高炉効率化)で、欧州の先進的グリーン鉄鋼プロジェクト(80%削減)との差が投資家・顧客から問われるようになっている(出典:Renewable Energy Institute — Decarbonizing Steel Japan 2025)。

実務への示唆:投資家・調達担当者へのポイント

CBAMが定義期間に入った2026年時点では、実務の論点は「準備」から「運用と実測」に移っている。

  • CBAM実務は既に走っている:2026年1月以降のEU向け輸出には定義期間のルールが適用され、2026年分の排出量に対応する申告・証書購入手続きは2027年に本格化する。年間50トン未満の少量輸入者を対象外とする簡素化措置も導入済みだ。まず自社のEU向け出荷品目がCBAM対象に該当するか、実排出データを供給元から取得できているかを確認し、デフォルト値適用による割高な負担を回避することが最優先の実務課題である。
  • 実測排出データの取得体制:CBAMコストは実排出値で申告できるかどうかで大きく変わる。鉄鋼サプライヤーからの一次データ取得の可否と検証体制の有無を、調達契約の評価項目に組み込む段階にある。
  • グリーン鉄鋼プレミアム調達の再評価:欧州自動車・建設大手はサプライヤーにグリーン鉄鋼証明(GreenSteelラベル等)を要求しているが、ArcelorMittalの計画中止が示す通り、プレミアム需要は当初想定より緩やかにしか立ち上がっていない。プレミアム支払意思の実態を踏まえ、要求水準と支払条件をセットで設計することが必要だ。
  • 日本製鉄・JFEの電炉転換への注目:2028〜2029年の国内大型電炉稼働が日本産グリーン鋼材の供給起点になる。稼働まで残り約2年となり、供給量・品質・価格条件の具体化が進む段階に入る。トライアル材の評価や規格適合性の検証は、この期間に着手しておく必要がある。
  • 海外DRIサプライチェーンの第二波:UAE・オーストラリアの第一波プロジェクトは2027〜2028年稼働に向けて建設段階にあり、初期の引取契約は概ね固まっている。今後の焦点は2030年代前半に稼働する第二波の枠取りと、天然ガスDRIから水素DRIへ切り替える際の価格改定条項をどう設計するかに移る。
  • GX-ETS義務化への対応:2026年度からの義務参加により、排出枠の過不足管理が財務事項になった。電炉転換の投資回収評価には、国内の炭素価格に加え、CBAMを含むEU向け輸出コストと顧客側のScope 3要求を合わせた「実効炭素コスト」を用いるべきである。

まとめ

  • 水素DRI-EAFはBF-BOF比で最大80%のCO₂削減が可能だが、競争力の鍵はグリーン水素価格が$2〜3/kg以下に低下するかどうかにあり、2026年時点でその水準には達していない。
  • 欧州ではHYBRITが実証を完了し産業スケール移行に入った一方、ArcelorMittalが2025年6月にドイツのDRI計画を中止し補助金を返上したように、エネルギーコスト・水素供給・プレミアム需要の三点が依然として最大の障壁である。
  • 日本勢は国内大型電炉転換(日本製鉄は八幡・広畑・周南の3拠点計約290万t/年、JFEは倉敷200万t/年で、日本製鉄は2028〜2029年度、JFEは2028年度第1四半期の稼働目標)と、中東・豪州からの海外DRI輸入モデルの二本柱で脱炭素を進める。天然ガスDRI先行という段階戦略は、欧州の足踏みを踏まえれば現実的だが、削減深度が浅く止まるリスクを併せ持つ。
  • CBAMは2026年1月に定義期間へ移行済みであり、調達・財務担当者の課題は準備ではなく運用にある。実排出データの取得体制を整え、デフォルト値適用による過大負担を避けることが直近の実務優先事項だ。
  • GX-ETSが2026年度から義務化された一方、有償オークションは2033年度、化石燃料賦課金は2028年度からと国内価格シグナルの本格化には時間差がある。投資評価はCBAMと顧客のScope 3要求を含めた実効炭素コストで行う必要がある。

参考文献

  • SSAB — HYBRIT: Six years of research paves the way (2024)
  • Vattenfall — HYBRIT Hydrogen Storage Proven (2025)
  • Nippon Steel — GX Initiatives 2025 (IR Presentation)
  • ESG Today — Nippon Steel EAF Investment
  • Fastmarkets — Japan Steel DRI Strategy
  • Transition Asia — Green Steel Economics (July 2024)
  • Global Efficiency Intel — Green Steel Economics
  • ArcelorMittal — European Decarbonisation Plans Update
  • DIW Berlin — Revisiting Investment Costs for Green Steel
  • 自然エネルギー財団 — Decarbonizing Steel: Japan’s Challenges (2025)
  • Terawatt Times — Japan CBAM 2026: The Triple Lock

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