分析記事 測定・MRV

GWPの版(AR4・AR5・AR6)で排出量はどう変わるか — 制度ごとの使い分けと換算表の持ち方

(本稿の情報は2026年10月時点)

この記事の結論

  • 物理排出量が同じでも、AR4からAR6へ版を替えると非化石由来CH4は+8.8%、化石由来CH4は+19.2%、N2Oは-8.4%動き、総量が増える企業と減る企業に分かれる。
  • 法定報告では企業が版を選べず、IFRS S2・SSBJ・ESRS E1のような開示基準では使用した版の説明責任が伴うため、版を記していない開示は要求を満たさない。
  • CH4またはHFC混合冷媒の比率が高い事業者では総量が2.7〜5.4%動くため、ガス種別の物理量を一次データとして保持し換算を後段に置く設計が実質的に唯一の解だ。

「排出量が変わる」のは測定の問題ではなく換算の問題

工場の設備は何も変わっていない。冷媒の漏洩量も、消化ガスの発生量も前年と同じだ。それでも報告書のCO2e総量が数%動くことがある。原因は測定精度ではなく、CO2eに換算するときに使う地球温暖化係数(GWP)の版が変わったことにある。

この区別を最初に固定しておくと、以後の議論が整理される。活動量(燃料使用量、冷媒充填量、家畜頭数)から物理量(kg-CO2、kg-CH4、kg-HFC-134a)までは、測定・推計の世界だ。MRVの精度向上が効くのはここまでである。ところが物理量をCO2eに束ねる段階では、IPCC評価報告書が示す係数を掛けるだけで、企業側に裁量はない。掛ける数字が変わればアウトプットが変わる。それだけの話だが、影響範囲は広い。

影響を受けるのは「CO2eで書かれたすべての数字」である。Scope1・2・3の総量、売上高原単位、製品カーボンフットプリント、SBTi目標の進捗率、内部炭素価格を掛けた仮想コスト、サプライヤーに配賦する排出原単位。これらはすべてCO2eを基礎に組み立てられているため、換算係数の版が動けば連鎖的に動く。削減施策の効果とは無関係に動く点が厄介だ。

だから問いの立て方を変えたほうがいい。「AR4とAR6のどちらが正しいか」は科学の問いであって、算定実務の問いではない。実務の問いは二つある。どの制度にどの版を出すのか。そして版をまたいだ年度比較をどう成立させるのか。この二つに答えられる算定基盤を持っているかどうかが、開示の一貫性を決める。

AR4・AR5・AR6のGWP値はどこがどれだけ違うか

主要な温室効果ガスについて、GWP100(100年時間地平)の値を版別に整理する。

ガス AR4(2007) AR5(2013) AR6(2021) AR4→AR6 変化率
CO2 1 1 1 0%
CH4(化石由来) 25 28 29.8 +19.2%
CH4(非化石由来) 25 28 27.2 +8.8%
N2O 298 265 273 -8.4%
HFC-134a 1,430 1,300 1,526 +6.7%
HFC-125 3,500 3,170 3,740 +6.9%
HFC-32 675 677 771 +14.2%
HFC-143a 4,470 4,800 5,810 +30.0%
SF6 22,800 23,500 25,200 +10.5%
NF3 17,200 16,100 17,400 +1.2%
PFC-14(CF4) 7,390 6,630 7,380 -0.1%

出典:IPCC 第4次評価報告書 WG1 第2章、第5次評価報告書 WG1 第8章(気候-炭素循環フィードバック非考慮の列)、第6次評価報告書 WG1 第7章

数値を眺めると、一方向に動いているわけではないことがわかる。化石由来CH4は版を追うごとに上がるが、非化石由来CH4はAR5の28でピークを打ち、AR6で27.2に下がった。N2OはAR5で大きく下がり、AR6でやや戻してもAR4を下回る。HFCはAR5での方向が銘柄で分かれ、HFC-134aとHFC-125は下がったのにHFC-32とHFC-143aは上がっている。AR6ではHFC4銘柄すべてがAR4を上回り、その幅は+6.7%から+30.0%まで4倍以上ばらつく。「Fガスは一律に数%上がる」という理解は成立しない。

AR6で入った設計変更のうち、実務に直接効くのは化石由来CH4と非化石由来CH4の分離だ。化石燃料の採掘・輸送に伴うCH4は、大気中で酸化された後のCO2が化石炭素由来であるため、その分が上乗せされて29.8となる。一方、反芻動物の消化管内発酵や廃棄物埋立地からのCH4は生物由来炭素の循環内にあるため27.2に留まる。畜産・食品・廃棄物の事業者と、石油・ガス・炭鉱の事業者では、同じ1トンのCH4でも換算値が約1割(29.8対27.2で9.6%)違う。この分離を算定システムが扱えるかどうかは、設計上の分岐点になる。

AR6はGWP100に加えてGWP20やGTP(地球温度変化ポテンシャル)も併記した。GWP20でCH4は82.5(化石由来)・79.7(非化石由来)となり、短期の温暖化寄与を強調する指標として一部の自治体目標やNGO分析で使われている。制度報告はGWP100が原則であり、GWP20は併記・補助指標の位置づけに留まる。

ガス構成によって総量が増える企業と減る企業に分かれる、という非対称性がここから生じる。N2O比率が高くCH4が少ない事業者は、AR6移行で総量が減る。逆にCH4主導の事業者は増える。削減努力とは無関係に、である。

業種別インパクト試算 — どの業種で総量が何%動くか

典型的なガス構成をモデル化し、AR4基準で算定した総量を100としたときにAR6で何%動くかを試算した。前提は次のとおりである。

  • ガス構成比はAR4ベースのCO2e構成比であり、業種の典型像を置いたモデル値。個社の実態とは異なる。
  • CH4は畜産・食品・廃棄物を非化石由来(27.2)、石油・ガス上流および燃料燃焼由来を化石由来(29.8)として扱う。
  • 冷媒系のFガスはHFC混合冷媒モデル(R-404A相当50%・R-410A相当30%・HFC-134a単体20%、AR4-CO2e構成比)とし、AR4→AR6の換算比1.141を用いる。
  • 化学はHFC-134a主体(1.067)、半導体はCF4 40%・SF6 35%・NF3 25%(同じくAR4-CO2e構成比、換算比1.039)とする。
業種モデル CO2比率 CH4比率 N2O比率 Fガス比率 AR4→AR6 総量変化率(試算)
畜産・酪農 20% 65%(非化石) 15% 0% +4.5%
食品加工(排水処理含む) 70% 20%(非化石) 8% 2%(冷媒) +1.4%
廃棄物処理・下水 35% 45%(非化石) 18% 2%(冷媒) +2.7%
石油・ガス上流 72% 27%(化石) 1% 0% +5.1%
半導体・電子部品 45% 1%(化石) 4% 50%(CF4/SF6/NF3) +1.8%
化学(HFC製造・使用) 55% 3%(化石) 12% 30%(HFC-134a主体) +1.6%
冷凍冷蔵倉庫・コールドチェーン 60% 0% 1% 39%(HFC混合冷媒) +5.4%
一般製造業(CO2主体) 96% 1%(化石) 2% 1%(冷媒) +0.2%
金融・サービス(Scope1,2) 98% 0.5%(化石) 1% 0.5%(冷媒) +0.1%

出典:Climate tech news(CTJPN)試算(前提は本文)

この表が示す構造は二つある。ひとつは、CO2比率が95%を超える事業者では全社総量の変化が0.2%以下に収まることだ。重要性のしきい値を5%に置いている企業なら、再算定の検討対象にすらならない。もうひとつは、Fガス比率の高さが影響の大きさを予測しないという点である。半導体モデルはFガスが総量の50%を占めるのに変化は+1.8%に留まる。CF4が-0.1%、NF3が+1.2%とほぼ動かず、SF6の+10.5%だけが押し上げるからだ。対して冷凍冷蔵倉庫モデルはFガス39%で+5.4%に達する。HFC-143aの+30.0%とHFC-32の+14.2%が混合冷媒に効いているためである。版変更の影響度はガスの大分類ではなく銘柄構成で決まる。

影響が大きいのは、CH4主導の事業者と、HFC混合冷媒を多用する事業者だ。石油・ガス上流の+5.1%、冷凍冷蔵の+5.4%、畜産・酪農の+4.5%は、多くの企業が参照する再算定しきい値に迫るか、それを単独で超える水準である。SBTiの1.5℃水準で目安とされる年率4.2%程度の直線削減パスと比べれば、1年分の削減努力が版変更で相殺される計算になる。

ここで見落とされやすいのが、全社平均で希釈されるという事実が製品レベルでは成立しないことだ。一般製造業の+0.2%は全社合算の数字に過ぎない。同じ企業でも、冷凍設備を多用する特定ラインの製品カーボンフットプリントでは、Fガス比率が局所的に30%を超えることがある。PCFや売上高原単位、サプライヤーが提出する一次データ原単位は、ガス構成が偏った小さな単位で切り出されるため、版の違いがそのまま数値差として出る。

B2B取引では、この差が交渉のテーブルに乗る。バイヤーがAR5ベースの原単位でサプライヤー評価をしており、サプライヤーがAR6で算定していれば、冷媒使用の多い工程で数%の不利が生じる。どちらも正しい算定をしているのに、である。取引先に数値を提出するときに版を明記していなければ、この差は「排出が多いサプライヤー」という誤った評価として固定される。

制度ごとに使う版が違う — 2026年10月時点の対応表

企業が版を選べないのは、制度側が指定しているからだ。主な指定状況を整理する。各制度とも改訂が入るため、算定の都度、各機関の最新告示・ガイダンスを確認する前提で読んでほしい。

制度・枠組み GWP版の扱い 根拠文書 更新の経路
温対法 SHK制度(算定・報告・公表制度) ガスごとの係数を政令で直接指定。企業に選択の余地なし 地球温暖化対策の推進に関する法律施行令 別表(環境省・経済産業省) 政令改正。国別インベントリの採用版に追随
UNFCCC 国別報告(BTR/ETF) AR5のGWP100。CMAが合意する後続の評価報告書の値への変更を留保 決定 18/CMA.1 附属書(MPGs)第37項。第1回BTRの提出期限は2024年12月末 CMA決定による
GHGプロトコル Corporate Standard 版を一律指定せず、使用した版の報告を前提とする運用。関連ガイダンスが最新報告書の100年値を参照 GHG Protocol Corporate Accounting and Reporting Standard および関連ガイダンス 標準改訂作業の進行中(出典: GHG Protocol)
CDP 質問書 回答年の技術ノートで使用すべき版を指定 CDP Technical Note(GWP値) 毎年の質問書改訂時
SBTi 目標設定時と進捗報告で算定方法の一貫性を要求 SBTi Corporate Net-Zero Standard/関連Criteria 基準改訂時
IFRS S2 / SSBJ 気候関連開示基準 GHGプロトコル準拠での測定を求める構造を通じた間接指定。加えて測定方法・インプット・仮定の開示を要求 IFRS S2 Climate-related Disclosures/SSBJ 気候関連開示基準 基準改訂時
EU CSRD / ESRS E1 使用した版の開示を要求。適用時期の延期と基準簡素化の改訂が進行(出典: 欧州委員会、EFRAG) ESRS E1(委任規則) 委任規則の改正時
EU CBAM 規則・実施規則が定める換算値。2026年1月から本格適用(出典: 欧州委員会) Regulation (EU) 2023/956 および実施規則 実施規則改正時
EU Fガス規則 附属書に規則独自の係数表を掲載し、IPCCの最新版と一致しない項目を含む Regulation (EU) 2024/573 附属書I〜III 規則改正時

出典:各機関公表文書をもとに Climate tech news(CTJPN)整理

対応表から読み取るべきことは三つある。制度は「版を指定する型」と「使用した版の説明を求める型」に分かれる。SHK制度とUNFCCC報告は前者で、企業に選択の余地はない。IFRS S2・SSBJ・ESRS E1は後者に近いが、「版は自由」と読むのは不正確だ。IFRS S2はGHGプロトコル準拠での測定を求める構造を持ち、そこを経由して版の選択が制約される。開示側で企業が持つ裁量は、説明責任と引き換えのものに過ぎない。

国内のSHK制度はガスごとの係数を施行令別表で指定しており、その改正は国別インベントリの採用版に追随する。国別報告がAR5のGWP100を使う間は、国内法定報告の係数もAR5系に揃う。日本企業が「国内法定報告は国内指定係数、グローバル連結開示はAR6」という二系統を抱える期間は、相当長く続く可能性が高い。

拘束が最も強いのはSBTiだ。目標設定時と進捗検証時で算定方法が異なれば、達成判定そのものが揺らぐ。版を変えるなら基準年も合わせて再算定するという原則が、ここでは整合性要件として機能している。

版の切り替えが起きたとき何を再計算するのか

版変更が基準年再算定のトリガーになるかどうかは、各社の再算定方針(base year recalculation policy)に書いてあるはずのものだ。書いていなければ、まずそこから着手するのが順序になる。GHGプロトコルは算定方法論の変更を再算定のトリガーの一つとして挙げており、GWP版の変更は方法論変更に該当すると解するのが一般的な実務だ。ただし自動的に再算定されるわけではなく、重要性のしきい値を超えた場合に限られる。しきい値を5%と置く企業があり、その水準なら前章の試算のうち再算定判断に乗るのは一部の業種だけになる。

一般製造業の+0.2%はしきい値を超えないため再算定不要となり、基準年はAR4、直近年はAR6のまま併存する。影響が小さいので実害も小さい。問題は冷凍冷蔵の+5.4%や石油・ガス上流の+5.1%のように、しきい値に迫るか単独で超えてしまうケースだ。この場合は基準年排出量を再計算しなければ、削減率の計算が成立しない。

基準年を再算定すると、分母が動く。CH4主導の事業者なら基準年排出量も増えるため、削減率への影響は部分的に相殺される。ただし完全には相殺されない。基準年と直近年でガス構成比が変わっていれば、版変更の影響度も年次で異なるからだ。基準年にCH4比率が高く、その後CH4削減を進めてCO2比率が上がった事業者は、版変更によって基準年のほうが大きく膨らむ。結果として削減率は見かけ上、改善する。削減努力をしていない企業より、CH4削減を進めた企業のほうが版変更の恩恵を受ける構図になっていて、これは偶然だが方向としては妥当でもある。

版変更が貫通する経路は排出量報告に留まらない。内部炭素価格を1トン当たり5,000円で設定している企業が、冷媒を多用する投資案件を評価するとき、AR4とAR6で仮想コストは数%変わる。投資判断の閾値ぎりぎりの案件なら、版の違いで結論が入れ替わりうる。役員報酬をCO2e削減率に連動させている企業では、版変更が報酬算定に直結する。報酬委員会に対して「排出は減っていないが係数が変わったので数字が動いた」と説明する事態は、ガバナンス上の説明コストを生む。

最も避けたい失敗は、基準年をAR4、直近年をAR6で算定したまま差分を取り、それを削減実績として社外に説明してしまうことだ。CH4比率の高い事業者なら、実際には削減していても版変更で増加に見える。逆にN2O比率の高い事業者は、何もしていなくても減少に見える。後者のほうが危険だ。第三者保証を受けている開示でこれが見つかれば、保証意見の修正や訂正開示に発展しうる。

実務的な解は単純だが、システム投資を伴う。活動量と物理量(kg-CH4、kg-HFC-134a、kg-SF6といったガス種別の質量)を一次データとして保持し、CO2e換算を最後の工程に置く。換算係数テーブルを版ごとに持ち、報告先に応じて切り替える。この構造にしておけば、版が変わっても再算定はテーブルの差し替えで完了する。逆に、CO2eだけを集計して物理量を捨てている企業は、版が変わるたびに元データまで遡る作業が発生する。算定基盤の設計思想の差が、ここで運用コストの差として表面化する。

課題・反論・代替視点

ここまでの議論に対する最も強い反論は、「全社総量への影響が1%未満の企業が大多数である以上、コストをかけて版管理の仕組みを作る合理性はない」というものだ。前章の試算でも、CO2比率95%超の事業者では影響が0.2%以下だった。日本の上場企業の多くはこの類型に入る。この反論は正しい。すべての企業に版別換算テーブルの整備を勧めるのは過剰である。

ただし二つの留保がつく。製品単位・セグメント単位では希釈が起きないこと。そしてScope3を含めると状況が変わることだ。Scope3カテゴリ1(購入した製品・サービス)に農畜産物や化学品が含まれる食品・小売業では、サプライヤー側のガス構成が自社の数値に流れ込む。全社Scope1・2がCO2一色でも、Scope3を含めた総量ではCH4の寄与が無視できない水準に達することがある。

もう一つの代替視点は、「GWP100そのものが短寿命ガスを適切に扱えていない」という科学側からの批判だ。CH4は大気中の摂動寿命が約12年で、100年という時間地平での積分はCH4の短期的な温暖化寄与を過小評価し、長期的な寄与を過大評価する。この批判からGWP(GWPスター)のような累積排出量ベースの指標が提案されており、畜産分野では実際に使われ始めている。GWPで評価すると、CH4排出量が横ばいの畜産事業は追加的な温暖化寄与がほぼゼロと算定される。業界団体がこれを支持し、環境NGOが批判する構図になっている。制度報告の主流はGWP100のままで、GWP*が国別報告や企業開示の標準になる見込みは当面ない。それでも、畜産・酪農セクターの対話では補助指標として登場するため、論点として把握しておく価値はある。

版の違いを「開示リスク」として捉える見方にも限界がある。リスク管理の発想だけだと、最新版への追随が遅れがちになる。複数版での算定能力を持つことは、異なる制度・異なる取引先の要求に即応できる能力であり、サプライチェーン上の交渉材料として機能する。バイヤーがAR6ベースの原単位を求めてきたときに即日出せる企業と、3週間かかる企業の差は、取引条件の交渉速度の差になる。

日本市場・日本企業への示唆

日本企業が置かれた状況には、海外事例をそのまま持ち込めない固有の条件がある。最大のものは、SHK制度がガスごとの係数を施行令別表で指定し、その改正が国別インベントリの採用版に追随する構造だ。欧州企業がESRS E1の下で最新版を使い始めても、日本企業は国内の法定報告で政令指定の係数を使い続ける。グローバル連結ベースのサステナビリティ報告書でAR6を採用すれば、法定報告と有価証券報告書の数値が一致しない。この不一致そのものは誤りではないが、注記で版の違いを説明しなければ、読み手は算定ミスと解釈する。

SSBJ基準に基づく気候関連開示が有価証券報告書に載る段階で、この注記の有無が開示品質の差として見えるようになる。金融庁は時価総額の大きいプライム市場上場会社から段階的に適用する枠組みを示しており、適用区分と開始事業年度は金融庁の公表資料で確認するのが前提になる(出典: 金融庁、SSBJ)。SSBJ基準はIFRS S2と整合する立て付けで、測定方法・インプット・仮定の開示を求める。使用したGWP版を書いていない開示は、この要求を満たさない。版を書くだけなら追加コストはほぼゼロだ。それでも抜け落ちやすい項目である。

業種面では、日本の産業構造がこの論点を無視できなくする。半導体製造ではPFC・SF6・NF3を使い、材料・製造装置で日本企業のシェアが高く、国内に前工程の生産拠点が残る。半導体モデルの試算は+1.8%だったが、これはCF4とNF3がほとんど動かないことで希釈された数字に過ぎない。SF6を多用する特定工程の製品原単位では、SF6単体の+10.5%がそのまま出る。コールドチェーンも同様で、HFC混合冷媒の使用が広範だ。フロン排出抑制法に基づく算定漏えい量の報告はCO2換算トン建てで行われるため、報告値そのものは版変更の影響を受ける。ただし充填証明書・回収証明書には冷媒種別の充填量・回収量がkg建てで残っている。この記録を算定の一次データとして取り込む発想に切り替えるだけで、版管理の基盤はかなりの部分が整う。

農業・畜産は構造が異なる。J-クレジット制度には家畜排せつ物管理や水田の水管理など、CH4・N2Oを対象とする方法論がある。クレジット創出量はCO2e建てで算定されるため、方法論が参照するGWP版が変われば同じ削減活動から生まれるクレジット量が変わる。水田中干し延長のようにCH4削減が主体の方法論では、非化石由来CH4の+8.8%がそのまま創出量の増加方向に働く計算になる。クレジットの経済性を試算するときに、どの版を前提にしているかを方法論文書で確認しておかないと、収益見込みが数%ずれる。既発行クレジットと新規発行クレジットで前提が異なる状態も起こりうる。

国内で実務的に有効なのは、グループ全体の算定ルールブックに「ガス種別物理量を一次データとして保持する」という一文を明記することだ。算定SaaSはこの構造を標準装備している製品が多いが、国内では表計算ベースの算定が依然として残り、CO2eだけを集計して物理量を捨てている現場が珍しくない。設計を変えるタイミングとして、SSBJ対応に伴う算定基盤の見直し期は合理的だ。

まとめ

GWPの版の違いは、排出量算定における唯一の「努力と無関係に数字が動く要因」である。物理的な排出が1キログラムも変わらないのに、報告されるCO2e総量が動く。その幅は、CO2主体の事業者なら0.2%以下に収まるが、CH4主導の事業者やHFC混合冷媒を多用する事業者では2.7〜5.4%に達し、1年分の削減目標進捗と同じオーダーになる。注意すべきは、影響の大きさがガスの大分類では予測できないことだ。Fガスが総量の50%を占める半導体モデルが+1.8%、39%の冷凍冷蔵モデルが+5.4%という逆転は、CF4の-0.1%からHFC-143aの+30.0%まで銘柄ごとの変化率が分散していることの帰結である。自社の換算係数テーブルを銘柄単位で点検しないと、影響度の見積り自体を外す。

制度側は版を指定する型と使用した版の説明を求める型に分かれ、日本企業は国内法定報告と国際開示で異なる版を扱う期間が続く。企業にできることは、版を選ぶことではなく、どの版でも即座に出せる状態を作ることだ。活動量とガス種別の物理量を一次データとして保持し、CO2e換算を後段の変換処理として分離する。換算テーブルを版ごとに持ち、報告先に応じて切り替える。この設計にしておけば、版変更は再算定作業ではなくテーブル差し替えで終わる。冷媒の充填・回収記録やJ-クレジット方法論の適用で、すでにkg建ての物理量を手元に持っている企業は、データの流し込み方を組み替えるだけで対応できる。

最も避けるべきは、基準年と直近年で異なる版を使ったまま差分を削減実績として説明することだ。N2O比率の高い事業者なら、何もしなくても8.4%の係数低下分だけ減少に見える。第三者保証の対象となる開示でこれが発覚すれば、訂正のコストは版管理の整備コストを上回る。国別報告のGWP版の変更はCMAの決定に委ねられており、2026年10月時点で後続版への移行決定は確認されていない(出典: UNFCCC)。それでも移行が決まれば国内の政令指定係数も追随し、算定事業者が一斉に版の切り替えに直面する。SSBJ基準の適用層が広がる今後数年のうちに、ガス種別物理量を一次データとして持っているかどうかが、開示の一貫性を分ける分水嶺となる。


主要出典

  • IPCC『第6次評価報告書 第1作業部会報告書(AR6 WG1)第7章 表7.15(GWP・GTP値一覧)』 https://www.ipcc.ch/
  • IPCC『第5次評価報告書 第1作業部会報告書(AR5 WG1)第8章 Appendix 8.A』、同『第4次評価報告書(AR4 WG1)第2章 表2.14』 https://www.ipcc.ch/
  • 環境省『温室効果ガス排出量 算定・報告・公表制度(SHK制度)/算定方法・排出係数一覧』、地球温暖化対策の推進に関する法律施行令 別表 https://www.env.go.jp/
  • 経済産業省『温室効果ガス算定排出量の報告等に関する関連情報』 https://www.meti.go.jp/
  • UNFCCC『決定 18/CMA.1 附属書(パリ協定の透明性枠組みに係る様式・手続・ガイドライン、第37項)』、隔年透明性報告書(BTR)関連ガイダンス https://unfccc.int/
  • GHG Protocol『Corporate Accounting and Reporting Standard』および GWP に関する関連ガイダンス https://ghgprotocol.org/
  • Science Based Targets initiative『Corporate Net-Zero Standard / Criteria and Recommendations』 https://sciencebasedtargets.org/
  • CDP『Technical Note: Global Warming Potential Values(回答年版)』 https://www.cdp.net/
  • サステナビリティ基準委員会(SSBJ)『気候関連開示基準(適用基準・テーマ別基準)』 https://www.ssb-j.jp/
  • IFRS財団『IFRS S2 Climate-related Disclosures(附属書Bを含む)』 https://www.ifrs.org/
  • 金融庁『サステナビリティ情報の開示に係る制度整備(開示府令改正・段階適用)関連公表資料』 https://www.fsa.go.jp/
  • EUR-Lex『Regulation (EU) 2024/573 on fluorinated greenhouse gases(附属書I〜III)』、『Regulation (EU) 2023/956(CBAM)』、ESRS に係る委任規則 https://eur-lex.europa.eu/
  • EFRAG『ESRS E1 Climate change(基準本文・改訂案)』 https://www.efrag.org/
  • J-クレジット制度事務局『方法論一覧(農業分野:家畜排せつ物管理、水田水管理ほか)』 https://japancredit.go.jp/

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