銀行・保険・年金のScope 3カテゴリ15(ファイナンスド・エミッション)は、金融機関のGHG総排出量の95%以上を占める。700社超・75兆ドル超のAUMを束ねるPCAFが測定・開示の国際標準となる中、2025年12月にはPCAF第3版で資産クラスが7から10に拡張され、ファシリテイテッド・エミッション(引受・主幹事業務)の計測基準も整備された。同月に公表されたISSB IFRS S2改訂では、ファイナンスド・エミッションの開示範囲を一部限定できる緩和措置が盛り込まれ、2027年1月適用開始。日本ではSSBJが銀行・保険のファイナンスド・エミッションを「当面は任意開示」と位置付けており、義務化タイミングは世界主要国と1〜2年の差がある。国際標準と日本制度の乖離をどう乗り越えるか——PCAF・PACTA・ISSB S2の統合実務アプローチを解説する。
ファイナンスド・エミッションとは:金融機関に特有のScope 3
GHGプロトコル・Scope 3カテゴリ15は「ファイナンスド・エミッション」として、金融機関が融資・投資を通じて間接的に排出したGHGを計測する。GHG総量に占める割合は金融機関によって異なるが、製造業のような直接排出がほぼない銀行・保険では95%超に達する。この特性が、金融機関の気候リスク管理と開示において「誰に、いくら融資・投資したか」が排出量の主要決定因となる理由だ。
2025年12月に公表されたPCAF第3版では、ファイナンスド・エミッション(Part A:融資・投資)とファシリテイテッド・エミッション(Part B:引受・コーポレートボンド主幹事等)の区別が明確化された。ファシリテイテッド・エミッションはオンバランスではないため義務的開示の対象外とする国・基準も多いが、PCAFは自発的な追加開示として標準化を図っている。
PCAF:700社超・75兆ドルをつなぐ測定標準
PCAF(Partnership for Carbon Accounting Financials)は2015年にオランダの銀行グループが起草し、現在700社超・運用資産総額75兆ドル超が加盟する業界主導の測定・開示フレームワークだ。PCAFは資産クラス別に計測方法・データ品質スコアを規定しており、GHGプロトコルおよびISSB S2の双方から「Scope 3カテゴリ15の計算方法として参照すべき基準」と位置付けられている。
PCAF日本チャプターは26社が参加し(2025年時点)、アジアで最大規模。三菱UFJ・みずほ・三井住友の3メガバンクはいずれも加盟しており、PCAFに基づくポートフォリオ排出量の計測・開示を実施している。
PCAF第3版(2025年12月):資産クラス10区分とフォワードルッキング指標
2025年12月公表のPCAF第3版の主要変更点は3つだ。
| 区分 | 第2版(7クラス) | 第3版(10クラス)での変更 |
|---|---|---|
| 上場株式・社債 | ○(既存) | 業種別データ品質スコア細分化 |
| ビジネスローン | ○(既存) | SME向け簡易計算パス新設 |
| プロジェクトファイナンス | ○(既存) | 再エネPFの計測精度向上 |
| 商業用不動産 | ○(既存) | CRREM整合パスウェイ参照推奨 |
| 住宅ローン | ○(既存) | 建物エネルギー認証データとの連携 |
| 自動車ローン | ○(既存) | EV割合による係数調整 |
| ソブリン債 | ○(既存) | 変更なし |
| ファシリテイテッド(引受等) | Part B新設 | 標準開示テンプレート追加 |
| デリバティブ・構造化商品 | 新規追加 | 計算方法ガイダンス初公表 |
| ファンドオブファンズ | 新規追加 | ルックスルー方式の詳細化 |
データ品質スコアは1〜5段階(1が最高品質・5が最低品質)で維持されているが、第3版からフォワードルッキング指標(排出削減軌道・整合性スコア)の補足開示が推奨された。これによりPCAFは過去・現在排出量の計測から、将来のパリ協定整合度評価へと機能拡張している。
PACTA:前向き整合性評価でPCAFを補完する
PACTA(Paris Agreement Capital Transition Assessment)は2°C(1.5°C)シナリオとのポートフォリオ整合性をセクター別・技術別に評価するオープンソースツールだ。2°Investing Initiative(2DII)が開発し現在はTransitionMonitorが運営しており、中央銀行・監督当局による気候ストレステストにも採用されている(ECB・スイス国立銀行等)。
PCAFが「今、いくら排出しているか(過去・現在)」を計測するのに対し、PACTAは「ポートフォリオが1.5℃シナリオのどの位置にあるか(未来)」を評価する。両者は補完関係にある。具体的には:PACTAで高排出セクター(石炭・石油ガス・自動車)の整合性ギャップを特定→PCAFで排出量の量的変化をモニタリング→エンゲージメントまたはダイベストメントを実施——このサイクルが気候関連投融資の実務フローだ。
ISSB IFRS S2改訂(2025年12月):ファイナンスド・エミッションの緩和と義務化
ISSBは2025年12月にIFRS S2の限定的改訂を公表し、ファイナンスド・エミッション(Scope 3カテゴリ15)の開示範囲について2点の重要な変更を加えた。第一に、データ入手可能性や計測困難を理由とした「重要性判断による開示範囲の限定」が認められた。金融機関は全ポートフォリオを一律開示する代わりに、「重要な資産クラス」を自ら定義し優先開示できる。第二に、改訂基準の適用開始を2027年1月1日以降の報告期間とするトランジションリリーフが設けられた。
この緩和措置は「厳格な要求が開示の萎縮を招く」という業界の懸念に応えたものだが、批判もある。NGO・投資家団体は「重要性の自由裁量により開示水準が低下する」と指摘しており、各管轄が義務化する際に追加要件を上乗せする可能性もある。
日本の制度動向:SSBJ・FSA・BOJの三重構造
日本では3つの規制主体が金融機関のポートフォリオ排出量開示に影響している。
SSBJ(サステナビリティ基準委員会):Tier 1企業(プライム市場の大手上場企業)はFY2027(2027年3月期)からSSBJ基準に基づくサステナビリティ開示が義務化される。ただし銀行・保険会社のファイナンスド・エミッション(Scope 3カテゴリ15)については「当面は任意開示」と明記。義務化の時期は今後の改訂で決定されるが、2029年以降と見込まれている。
FSA(金融庁):2022年以来、東証上場企業にTCFD準拠またはそれと同等の気候開示を実質義務化。2024〜2025年に行った銀行・生保向けモニタリングでは、PCAF採用率・データ品質スコアの記載・シナリオ分析手法の透明性が重点確認事項となっている。
BOJ(日本銀行):2021年に開始した気候変動対応型資金供給オペの条件として、対象金融機関にTCFD開示要件を課している。NGFSシナリオ(Phase V、2024年11月公表)を用いた気候シナリオ分析を、融資ポートフォリオの物理リスク・移行リスク評価に活用することを推奨している。
日本メガバンク開示実績:MUFG・みずほ・SMBC
日本の3メガバンクは世界でも上位クラスのファイナンスド・エミッション開示を実施している。
MUFG(三菱UFJフィナンシャル・グループ):石油ガスセクターについて2026年を目標としていた排出削減目標を2年前倒しで達成し、2024年時点の石油ガス融資関連排出量は159千tCO₂e(GHGプロトコル・PCAF準拠)。セクター別開示は全体の主要資産クラスをカバーしており、PACTA整合性評価とも連動した報告体制を整備している。
みずほフィナンシャルグループ:19セクターにわたるファイナンスド・エミッション開示を実施。PCAF第2版に準拠したデータ品質スコア(資産クラス別)の開示も行っており、J-POWERなど電力・エネルギーセクターのエンゲージメント方針も詳細に公開している。
SMBC(三井住友フィナンシャルグループ):2023年度のファイナンスド・エミッション総量87.6 MtCO₂eを公表し、2040年に石炭関連融資から完全撤退する方針を明示。セクター別削減目標のベースラインをPCAFで計測し、移行計画(Transition Plan)に組み込む構造を採用している。
EU Green Asset Ratio:国際比較ベンチマーク
EU主要銀行が2024年から開示を義務付けられたGreen Asset Ratio(GAR)は、EUタクソノミー整合融資が総融資残高に占める割合を示す。2024年の欧州主要銀行の平均GARは2.06%(EBA集計)にとどまり、「グリーン経済への融資転換は極めて初期段階」という実態が浮かび上がった。
日本にはGARに直接対応する制度はまだ存在しないが、EU市場に展開する日本の金融機関はGAR開示のデータ整備が求められる。GARとPCAFは補完関係にあり、PCAF計測でポートフォリオ排出量を把握→EUタクソノミー整合融資の識別→GAR計算という流れが国際展開する銀行の標準的な開示フローになりつつある。
NZBA解散後の業界コミットメント:NZBAからの脱退と残る自主枠組み
ネット・ゼロ・バンキング・アライアンス(NZBA)は2025年10月に事実上解体された。米国の大手銀行が相次いで脱退し、規模が縮小したことが主因だ。日本のメガバンクも脱退または関与縮小の動きを見せた。しかしNZBAの解散は業界の気候コミットメントそのものの後退を意味するものではない。日本のメガバンクはSSBJ基準・FSAガイドライン・PCAF計測体制を独自に整備しており、アライアンスの存否に関わらず開示義務は強化される方向にある。
代替的な枠組みとして、PCAFや国連責任投資原則(PRI)のSignatory枠組みが引き続き機能しており、特にPCAF加盟は「Scope 3カテゴリ15の計測方法を遵守している」という市場への明確なシグナルとなっている。
データプロバイダーの活用:Trucost・MSCI・Bloomberg
ファイナンスド・エミッション計測の最大の実務課題はデータ取得だ。上場企業の排出量データは外部プロバイダーから調達可能だが、精度・カバレッジ・モデル手法が異なる。
S&P Global Trucost:業種別排出原単位モデルをベースに8万社超をカバー。PCAFのデータ品質スコア3(業種平均ベース)相当だが、企業開示データを取り込めばスコア1〜2に改善。MSCI ESG Carbon Analytics:気候バリューアットリスク(CVaR)と統合されており、PACTA整合性評価との連携に強み。Bloomberg ESG:ターミナル利用者はAPIで既存ワークフローに統合しやすく、発行体ティッカーとの連動が容易。
いずれのプロバイダーも非上場企業・SMEのカバレッジは限定的であり、PCAF第3版で新設された「SME向け簡易計算パス(業種別排出原単位×売上高)」を活用することが現実的な対応となる。
TNFDの金融機関向けガイダンス:自然資本との統合
2024年6月公表のTNFD金融機関向けガイダンスv2.0では、ファイナンスド・エミッションと同様に「ファイナンスド・ネイチャーインパクト」の計測・開示フレームワークが示された。融資・投資先の自然資本リスク(土地利用変化・水ストレス・生物多様性喪失)を金融ポートフォリオレベルで集計する方法論は発展途上だが、PCAFとTNFDの統合開示が2026〜2028年にかけての重要テーマとなる見込みだ。
まとめ:2027年SSBJ義務化に向けた実務ロードマップ
日本の金融機関が2027年3月期のSSBJ開示(ファイナンスド・エミッション任意開示段階)までに整備すべき実務ステップを整理する。
- PCAF加盟とデータ品質スコア把握:主要資産クラス(上場株式・社債・商業不動産・住宅ローン・事業融資)のデータ品質スコアを算出し、スコア3以下(業種推計)の資産から一次データ収集計画を策定。
- 重要セクターの特定:ISSB S2改訂の「重要性に基づく開示範囲の限定」を活用するにあたり、ESG・リスク管理・IRの三者合意による「重要セクター」定義を文書化。
- PACTAによる整合性評価:電力・石炭・石油ガス・自動車セクターについてPACTAで1.5℃シナリオとのギャップを計測し、エンゲージメント優先対象を特定。
- NGFSシナリオ分析の実施:Phase V(2024年11月)の各シナリオを用い、融資ポートフォリオの移行リスク(座礁資産リスク)と物理リスクを定量化。
- Transition Planへの統合:ファイナンスド・エミッション削減目標をセクター別に設定し、毎年のPCAF報告によるモニタリングサイクルを確立。
- TNFD統合への準備:炭素・自然資本の双方を視野に入れた統合開示体制を2026年までに設計開始。
「ファイナンスド・エミッション開示は後追いの義務対応」という認識はもはや正確ではない。PCAF計測精度の向上・PACTA整合性評価の実施・ISSB S2対応の三位一体を早期に整備した金融機関は、グリーンボンド・サステナビリティリンクローンの組成コスト低減と機関投資家からの信認という形で競争優位を得ている。2027年の義務化をゴールではなくマイルストーンと捉え、開示の質的向上に取り組むことが求められる。
【主要参照資料】PCAF「The Global GHG Accounting and Reporting Standard Part A, Third Edition」(2025年12月)、ISSB IFRS S2限定改訂(2025年12月)、SSBJ「ユニバーサル基準公開草案」(2024年3月)、NGFS Climate Scenarios Phase V(2024年11月)、EBA「Green Asset Ratio 2024年集計」、MUFG・みずほ・SMBC各社統合報告書・TCFDレポート(2024年)