航空業界の脱炭素:SAF(持続可能な航空燃料)のコスト・調達・CORSIA対応2025
2024年10月、ANAホールディングスは決算説明会で異例の表現を使った。「CORSIA対応コストは現時点で試算困難」——国際民間航空機関(ICAO)が課す炭素相殺義務と、日本政府が求める2030年10%SAF(持続可能な航空燃料)調達目標が、同時進行で重くのしかかっているからだ。従来型ジェット燃料が約900ドル/トンであるのに対し、最も安価なSAF(HEFA-UCO)でも1,700〜2,300ドル/トンに達する。電解水素由来のe-SAFに至っては5,900〜6,200ドル/トンと6倍超のコスト差がある。航空会社が直面するのは、「いつ、何を、どう調達するか」という調達設計の問題であり、規制対応と競争力確保を同時に達成しなければならないジレンマだ。
CORSIAとは何か:Phase 1の仕組みと義務範囲
CORSIA(Carbon Offsetting and Reduction Scheme for International Aviation)は、ICAOが2016年に採択した国際航空の炭素中立成長スキームだ。当初は2019〜2020年の平均排出量を基準(ベースライン)とする設計だったが、2022年のICAO第41回総会での改定により、2024年以降のベースラインは2019年排出量の85%に引き下げられた。その水準を超える排出量について、航空会社に相殺義務を課す。
CORSIAは3フェーズで構成される。パイロットフェーズ(2021〜2023年)、Phase 1(2024〜2026年)、Phase 2(2027〜2035年)だ。パイロットフェーズはCOVID-19の影響で需要が大幅減少したため、実質的な義務はほぼ発生しなかった。Phase 1は120カ国以上が参加(2024〜2026年、ICAO公表)し、各航空会社の相殺義務量は「自社の国際線排出量 × 成長係数(セクター成長因子)」で算出される。ICAOが算出した2024〜2026年の成長係数は約0.154(ICAO CORSIA Technical Advisory Body算出、ICAO公式文書掲載値)。推定総需要は約5,800万トンCO2相当と推計される(IATA)。
Phase 2(2027年〜)では全ICAO加盟国への適用が拡大し、義務の性格がより強制的になる。日本は国際航空のGHG削減において「ネットゼロ2050」目標(ICAO決議A41-21)を支持しており、国内主要キャリアのCORSIA参加は事実上不可避だ。
CORSIA相殺の選択肢:クレジットかSAFか
航空会社がCORSIA義務を履行する手段は2つある。①CORSIA適格排出ユニット(CEEU)の購入と、②CORSIA認定SAFの使用だ。
CEEUはICAOが認定したカーボンクレジット(Gold Standard、Verra VCS等の特定プログラム発行分)で構成される。2025年Q1時点の市場価格は1CEEUあたり約20〜22ドル(BloombergNEF、2025年Q1推計値;価格は変動する)。航空業界全体で見ると、クレジット調達コストはSAF利用より安価だが、SAFは実排出削減かつ燃料コストとの統合管理が可能という利点がある。
2024年からCORSIAは「Book-and-Claim」方式を正式に認めた。これはSAFの物理的な移送と証書を切り離す仕組みで、空港でSAFを実際に給油しなくても、SAF生産者から証書を購入することでCORSIA義務への充当が可能になる。日本の航空会社にとって特に重要な仕組みで、国内SAF供給が限られる現状でも海外SAF証書を調達することで対応できる。
SAFコスト比較:製造パスウェイ別の経済性
SAFは原料と製造プロセスによって複数のパスウェイに分類される。ライフサイクルGHG削減率と現在のコストを比較した(製造コストはいずれも各種推計に基づく)。
| パスウェイ | 主原料 | 製造コスト($/t) | GHG削減率 | 商業化状況 |
|---|---|---|---|---|
| HEFA-UCO | 廃食用油(UCO) | 1,700〜2,300 | 70〜80% | 商業規模稼働中 |
| HEFA-タロー | 動物油脂 | 2,000〜2,500 | 60〜70% | 商業規模稼働中 |
| AtJ(アルコール-to-ジェット) | 廃材・農業残渣 | 3,000〜4,000 | 40〜80% | 初期商業化段階 |
| FT-バイオマス | 固形バイオマス | 3,500〜5,000 | 80〜90% | 実証・初期商業 |
| e-SAF(Power-to-Liquid) | グリーン水素+CO2 | 5,900〜6,200 | 85〜95% | 実証段階 |
現在のSAF市場の約75%をHEFA(水素化処理エステルおよび脂肪酸)が占める。廃食用油(UCO)が主原料だが、原料競合(バイオディーゼル、道路輸送向け)が深刻化しており、UCO価格は2023年比で約15〜20%上昇している。原料制約がHEFAの拡大に対する最大のボトルネックであり、長期的なSAF主力パスウェイとしてFT合成やe-SAFへの移行が見込まれる。
規制環境:ReFuelEUと日本の10%目標
欧州ではReFuelEU Aviation規則(EU 2023/2405)が2025年から発効した。EU加盟国の空港から出発するすべての便に対し、給油量の2%以上をSAFとすることを義務付け、この比率は段階的に引き上げられる(2030年6%、2035年20%、2050年70%)。さらに2030年以降は給油量の一定割合をRFNBO(再生可能非生物由来燃料)とする要件も設けられた(2030年:0.7%、2032年:1.2%、EU 2023/2405 Annex I)。
日本では国土交通省が2023年に「SAF普及促進に向けたロードマップ」を策定し、2030年に国内航空燃料消費量の10%をSAFで賄う目標を設定した。経済産業省・国土交通省の官民協議会が示す前提では、2030年のジェット燃料使用量は約1,700万kLと見込まれ、その10%=約171万kLがSAF導入目標に相当する。JALは2030年10%(燃料消費量比)、ANAも同水準を目指す方針を公表している。国内需給ギャップは大きく、輸入・Book-and-Claim活用が当面の主要調達経路となる。
日本のSAF供給体制:SAFFAIRE SKY ENERGYの始動
2025年4月、日本初のISCC(持続可能性・炭素認証)認定SAF国内製造拠点が稼働した。コスモ石油・JGC・REVOインターナショナルの3社が設立した「SAFFAIRE SKY ENERGY(サフェア スカイ エナジー)」だ。製造能力は年間3万KL(約2.4万トン)。主原料は廃食用油(UCO)で、コスモ石油・堺製油所(大阪府堺市)の既存設備を転用したHEFAパスウェイを採用している。
3万KLという供給量は、2030年に見込まれる年間ジェット燃料消費量(約1,700万KL)の約0.18%に相当するにすぎない。2030年10%目標(約171万KL相当)には遠く及ばず、原料調達(UCO)の国内限界と製造拠点の拡充が課題だ。現在、出光興産・ENEOSも製造ルートを検討中であり、2030年に向けた設備投資競争が始まっている。
JALは2021年よりSAFフライトプログラムを本格化。フィンランドのNeste(HEFA-UCO主力メーカー)やシンガポールの供給拠点からBook-and-Claim方式でSAF証書を調達し、国内外路線でのCORSIA対応を進めている。ANAも同様に欧州・北米のSAF生産者との中長期購入契約(LTPA)交渉を進めているが、価格と供給量の折り合いが課題となっている。
コスト構造と航空会社の財務インパクト
日本の国際線を年間1,000万席規模で運航する大手キャリアにとって、SAFのプレミアムコストは具体的にどの程度になるか。
従来型ジェット燃料(Jet A-1)のSpot価格は2025年時点で約850〜950ドル/トンで推移している。HEFA-UCOの製造コスト1,700〜2,300ドル/トンとの差は約800〜1,400ドル/トン(「グリーンプレミアム」)となる。2030年に年間燃料消費の10%(約7万トン相当、国際線分)をSAFに切り替えた場合のプレミアムコストは単純計算で約5,600万〜9,800万ドル(約80〜140億円)。運航コスト全体の1〜2%程度に相当する。
一方、CORSIA相殺コストはCEEU価格21.70ドル/CEEUで試算すると、Phase 1の日本キャリア2社合計の義務量(推定200〜300万トンCO2)では約4,300〜6,500万ドル。SAFとクレジットの組み合わせ戦略が財務的に最適解となるケースも多い。
重要なのは、SAFは「排出削減」として計上できるためSBTi目標やScope 1削減実績に直接貢献するが、CEEUクレジットはあくまで「相殺」であり排出量自体は変わらない点だ。ESG評価・投資家対応の観点からは、SAF調達のほうが評価されやすい。
調達戦略:5つの実践ステップ
- CORSIA義務量の正確な算出:成長係数(2024〜2026年:0.15405257)と自社国際線排出量から義務量を算定し、CEEUとSAFの最適組み合わせを検討する。義務量の過小評価は後年のバックペイメントリスクを生む。
- Book-and-Claimの即時活用:物理的なSAF給油インフラが整備されるまでの暫定策として、ISCC認定SAF生産者からの証書調達が最速の対応策だ。Sustainable Aviation Buyers Alliance(SABA)のプラットフォーム利用も選択肢。
- LTPA(長期購入契約)の締結:2027〜2030年のPhase 2に向け、今から国内外のSAF生産者とLTPAを交渉する。価格固定・量保証の条件設定が調達リスク管理の要諦。
- パスウェイの分散:原料競合リスクに備え、HEFAのみに依存しないポートフォリオ構築を。FT合成・AtJへの事前契約や共同投資も選択肢となる。
- ICAO認定プログラムの確認:CEEUとして使用できるクレジットはICAOが認定したプログラム(Verra VCS、Gold Standard等特定プログラム)に限定される。認定外クレジットの誤購入に注意。また、SAFのCORSIA充当にはICAO公認のLCA計算手法(ICAO CORSIA SAF methodology)に基づく認証が必要。
2030年以降の展望:e-SAFへのシフトと日本の戦略的位置
長期的に見ると、2035年以降はHEFAの原料制約からe-SAF(Power-to-Liquid)へのシフトが不可避と見られる。e-SAFの製造コスト(5,900〜6,200ドル/トン)が現時点では障壁だが、グリーン水素コスト低下と再生可能電力価格の下落により、2035〜2040年には4,000〜5,000ドル/トン台まで低下するとの予測もある(IRENA等)。
日本にとって、e-SAFは国産エネルギー安全保障と脱炭素の交差点に位置する。再生可能電力+水電解の国内製造インフラが整備されれば、UCOのような原料競合に依存せず安定供給が可能になる。NEDOを中心とした国産e-SAF実証プロジェクトは2025〜2027年に評価段階を迎える見込みで、その成果が2030年代の日本の航空脱炭素戦略を左右する。
まとめ
- CORSIAのベースラインは2022年のICAO第41回総会での改定により、2024年以降は2019年排出量の85%に引き下げられた。義務量算定の前提として最新のICAO公式文書に基づく確認が不可欠だ。
- CORSIA義務の履行手段はCEEUクレジット購入とCORSIA認定SAF使用の2つ。コストはクレジットが安価だが、ESG評価・Scope 1削減実績の観点ではSAFが優位となる。
- 国内SAF供給は2030年10%目標(約171万kL)に対して大幅に不足しており、当面はBook-and-Claim方式による海外SAF証書調達が現実的な対応策となる。
- Phase 2(2027年〜)に向け、LTPA締結とパスウェイ分散(HEFA依存からの脱却)を早期に進めることが調達リスク管理の要諦だ。
- 長期的にはHEFAの原料制約からe-SAFへのシフトが見込まれ、国産e-SAF実証の動向が2030年代の調達戦略を左右する。
参考資料
- ICAO, CORSIA Implementation Elements (2024) — 成長係数・適格燃料リスト
- ICAO, CORSIA Eligible Fuels List (2025年版)
- IEA, Aviation and shipping – Renewables 2024 — SAFコスト推計
- IATA, SAF Forecast (2025) — 世界SAF供給量・コスト見通し
- BloombergNEF, Carbon Markets (2025Q1) — CEEU価格推計
- IRENA, Renewable Power to X – Fuels (2023) — e-SAFコスト予測
- ReFuelEU Aviation Regulation (EU) 2023/2405 — EU SAF義務
- 国土交通省「SAF普及促進に向けたロードマップ」(2023年)
- SAFFAIRE SKY ENERGY プレスリリース「国内初ISCC認定SAF製造開始」(2025年4月)
- JAL「JAL SAF Flightプログラム」公式サイト(2025年現在)
- ANA「ANAグループ SAF調達方針」(2024年)
- Sustainable Aviation Buyers Alliance (SABA), Book-and-Claim Framework (2024)
- METI・国土交通省「航空脱炭素ロードマップ」(2023年)
- ANAホールディングス「2024年度第2四半期決算説明会資料」(2024年10月)