ESG格付けの仕組みと企業スコア向上戦略:MSCI・Sustainalytics・CDP完全比較2025
東証プライム上場の化学メーカーのサステナビリティ担当者は、MSCIから届いた1通のメールを8ヶ月間見落としていた(取材をもとに構成した事例)。そのメールは、MSCIが格付け算定に使おうとしている「炭素排出原単位データ」の確認依頼だった。返答がなかったため、5年前の古い数字がそのままスコアに反映され、翌年のIR説明会で外資系機関投資家から「ESGリスクが高い企業」に分類されていた事実が発覚した。スコアそのものより先に、このプロセスの存在を知らないことが日本企業にとって最も大きなリスクだ。
CDP気候変動Aリストに名を連ねる日本企業は2024年時点で112社——世界462社(全評価対象の約2%)の24%を占め、CDPの透明性開示では日本はグローバルのフロントランナーだ。しかし、CDP Aリスト企業とMSCI上位格付けの一致率はどのくらいか。同じ企業群を主要5格付け機関と交差分析した調査(Nossadata, 2024)によれば、CDP Aリスト424社(2023年)のうちMSCI・Sustainalytics等の全機関でリーダー認定を受けているのは35社のみ(8.3%)だ(出典:Nossadata — CDP A-List and ESG Ratings Correlation)。
「CDPはA、MSCIはBBB」というねじれは偶然ではない。設計思想のレベルから両者は根本的に異なる評価システムであり、その構造を理解しないまま対策を積み上げても、コストだけがかさんで格付けの実質は動かない。
MSCIは「財務リスクの相対評価」、CDPは「開示の完全性評価」
| 比較軸 | MSCI ESGレーティング | CDP気候変動スコア |
|---|---|---|
| 何を測るか | 財務的重要性のあるESGリスクの管理水準 | 気候変動への対応の透明性・実行の証拠 |
| 評価の基準 | 同一産業内ピアとの相対比較 | 絶対評価(全産業共通の開示基準) |
| データ収集 | MSCIが独自スクレイピング(企業自己申告は約50%) | 企業が記入する質問票(未回答は自動D-) |
| 最高評価の条件 | 産業ピア上位数%(AAAは相対順位) | 開示完全性+SBT取得+移行計画文書化 |
| スコア方向 | 高いほど良い(AAA〜CCC) | A→F(Aがベスト) |
Berg et al.(Review of Finance, 2022)は6大ESG格付け機関間の相関係数が0.38〜0.71であることを実証した。信用格付けのMoody sとS Pの相関が0.99を超えるのと比べると、ESG格付け間の不一致は構造的に巨大だ。乖離の要因分解では「測定方法の違い」が56%、「評価範囲の違い」が38%を占める(出典:Berg et al., Review of Finance)。この研究は2022年発表だが、2024年のESG格付け市場でも同様の乖離構造が確認されており、IOSCOのESG格付け機関ガイダンス(2021年)や欧州CRA規制の延長でも「評価の不一致」は中核的な課題として取り上げられ続けている。
乖離の実態:なぜ同じ企業でスコアが逆転するか
製造業を例に取ると、日本の化学大手がCDPですべての開示要件とSBTを満たしてAスコアを取ったとしても、MSCIが見ているのは「化学産業ピアの中での相対的な炭素管理レベル」だ。同業の欧州・アジア企業が同様にスコアを上げていれば、自社の絶対値は改善していても相対順位は動かない。「開示した」と「ピアを上回った」は全く別の問いに答えている。
逆のパターンもある。MSCIで業種内AAを維持している企業が、CDP回答を外部委託して整合性チェックが甘い場合、SBTiの目標登録がないためにCDPでBに留まるケースだ。「MSCI優先でCDP管理」か「CDP優先でMSCI管理」かの二択になっている企業が多い背景には、この設計思想の違いがある。
MSCIの評価機構:格付けを動かす「Key Issues」とメール1本の非対称性
MSCIは世界17,000社以上、999,000証券を対象に格付けを行う(2024年6月現在)。評価には1,000以上のデータポイント・KPIを使用し、35のESG重要課題を産業別に適用する。格付けは公開情報のMSCI独自スクレイピングで算定され、企業からの自己申告データは全体の約50%に過ぎない(出典:Apiday — MSCI ESG Ratings解説)。
MSCIのKey IssuesタブはMSCI ESG Corporate Search Tool(無料)で誰でも確認できる。自社の格付けページを開くと「Key Issues」に5〜7項目が表示される。これが格付けの大部分を決める業種固有の重要課題だ。
しかし「Key Issuesを確認した後、何をすべきか」で多くの企業が詰まる。具体的なアクションは以下の3段階だ。
- Key Issueのスコア構成を分解する:各Key IssueはMSCIの有料ポータルでサブスコアを確認できる。無料範囲では「業種内自社の相対位置(パーセンタイル)」まで確認可能。どのKey Issueが最もピアとの差が大きいかを特定する。
- そのKey Issueに直結する公開データを整備する:例えば「Toxic Emissions and Waste」がKey Issueなら、有害廃棄物排出量・管理体制・目標の開示がMSCIのスクレイピング対象になっているかを確認。報告書内で「埋もれている」場合は、専用ページへの分離や数値の前置きで視認性を上げる。
- Issuer Communications Portalで年1回のデータ修正機会を行使する:MSCIからの格付け更新通知メールを受信設定し、Issuer Communications Portalでデータ修正の権利を行使する。承認後の処理期間は約20営業日。年1回の窓口を逃すと次の機会まで1年待ちになる。
MSCI Japan Top 500 Indexを対象にした分析によると、Issuer Communication(データ修正・フィードバック提出)に参加した企業は60%。しかし参加しても格付けが実際に向上したのは11%のみで、81%は格付けが維持されたままだ(出典:MSCI — Japan ESG Ratings Snapshot)。この11%という数字は「ポータルへの参加がそのまま向上を意味しない」ことを示すが、「参加しなければデータ修正の機会すらない」リスクも示している。
MSCI全体でのIssuer Engagement参加率は2015年の7%から2023年には45%へ拡大し、気候関連データポイントの提出数は2023年に31,200件(2021年比3.2倍)に増加している(出典:MSCI — Global Issuer Engagement 2023)。
CDPの評価機構:日本は世界最多だが「SBTの壁」が残る
CDP 2024年気候変動評価では22,777社を評価、回答企業は24,700社以上(前年比+6.3%の過去最高)。Aリストは462社(全体の約2%)に過ぎない(出典:CDP — A-List 2024プレスリリース)。
日本企業は気候変動カテゴリーで2024年も100社超がA評価を取得(2023年は112社、水セキュリティ36社、森林7社)。CDP開示においては「France, Türkiye and Japan stand out as frontrunners in environmental transparency」とCDPが公式に評価するほど日本は積極的だ。
しかし、CDPのAスコア取得には5つの条件が必要で、最後の「SBTiへの目標登録」が最大の障壁になっている。SBTiの目標登録には審査に数ヶ月かかり、農林業系企業はFLAGガイドラインへの対応も必要だ(詳細は別記事:SBTi FLAGガイドライン参照)。CDP担当者が「開示は完璧なのになぜAが取れないのか」と悩むケースの多くは、SBT未登録が原因だ。
また、投資家からの開示要請に対するサプライヤーの回答率は36%にとどまる(2024年)。サプライチェーン全体のScope 3 Cat.1〜15を開示・目標設定することがAの要件であり、主要サプライヤーへのデータ収集体制が整っていなければAは遠い。
Sustainalytics:「低いほど良い」第3の軸と2024年大改定
Morningstar Sustainalyticsは16,000社以上を対象に「ESGリスクスコア」を算出する(出典:Sustainalytics — ESG Data)。スコアは「低いほど良い」逆スケールで、「管理されていないESGリスク量(Unmanaged Risk)」を数値化する。
| リスクカテゴリー | スコア範囲 | 目標水準 |
|---|---|---|
| Negligible(無視できる) | 0〜9.99 | 最良 |
| Low(低リスク) | 10〜19.99 | 目標 |
| Medium(中リスク) | 20〜29.99 | 平均的 |
| High(高リスク) | 30〜39.99 | 要改善 |
| Severe(深刻) | 40以上 | 懸念 |
グローバル平均スコアは2019年の26.6(中リスク)から2023年には24.3へ改善。ただし地域別の管理スコア改善幅はヨーロッパ・北米が+9ポイントに対し、アジア太平洋は+4.6ポイントと遅れている(出典:Sustainalytics — State of ESG Risk)。
2024年5月のv3.1大改定ではガバナンス評価が完全リデザインされた。特に日本企業にとって影響が大きかったのは、社外取締役比率・取締役会の独立性・ESG連動役員報酬の評価ウェイト変更だ。コーポレートガバナンス・コード改訂(2021年)対応の遅れている企業でスコア悪化が報告されている(出典:Morningstar — Sustainalytics v3.1 Enhancement 2024)。
格付け向上の実証事例:Cotyが3機関同時に改善させた方法
複数のESG格付け機関で同時にスコアを改善することは、設計思想の違いから容易ではない。2024年、米化粧品大手Coty(NYSE: COTY)がそれを達成した。
| 格付け機関 | 変化前 | 変化後 |
|---|---|---|
| MSCI ESGレーティング | BB | A |
| Sustainalytics ESGリスクスコア | 23.9(中リスク) | 18.1(低リスク) |
| CDP気候変動スコア | B(2023年) | A-(2024年) |
Cotyが実施した施策は以下の通りだ(出典:Coty — ESG Rating Upgrades発表)。
- Scope 1・2排出量を2019年比82%削減(2030年目標を6年前倒しで達成)
- 全自社工場・流通センターで100%再生可能電力を達成
- 航空輸送排出量を65%削減
- 化学安全性・包装廃棄物・原材料調達での管理体制を文書化・第三者検証
重要なのは、CotyがMSCIのKey Issues(化学安全性、廃棄物・有害物質管理)に直接対応しながら、同時にCDPが求めるSBT・Scope 3開示・実行証拠も整備したことだ。「MSCIのKey Issuesに答えながら、CDP要件も充足する施策設計」が同時向上を可能にした。ただしCotyの改善はScope 1・2を中心としており、Scope 3対応が本格化する2025年以降のスコア維持が次の課題として残る。
日本企業が陥る3つの構造的な失敗
失敗①:統合報告書で「書いた」ことがMSCIに届くと思っている
MSCIは統合報告書の文章ではなく、特定フォーマットで計算された定量指標をAIスクレイピングで独自に取得する。「当社の報告書には記載している」は通用しない。MSCIが「どこから、どの数字を取得しているか」を逆算して、その形式・場所に合わせて開示しなければ、丁寧な報告書を作るほど「肝心な数字が埋もれる」逆説が起きる。有価証券報告書や統合報告書のPDFで図表の中に埋もれた数値は、スクレイピングで正確に拾われない可能性が高い。
失敗②:CDPをアンケート業務として外注に丸投げする
CDP質問票への回答を外部エージェンシーに委託することは一般化しているが、高スコアを取る企業の共通点は「CDPの回答が社内の気候変動戦略と本当にリンクしている」ことだ。外注で整合性を保っても「Scope 3カテゴリ15の目標を設定していない理由」をマネジメントが投資家に説明できなければ、エンゲージメントでほころびる。また、2023年施行の金融庁による有価証券報告書へのサステナビリティ情報開示義務化(プライム市場上場企業から段階的適用)により、CDPへの回答と有報開示の整合性が法的にも問われる時代になっている。
失敗③:格付け向上を「開示量の拡大」と同一視する
MSCIの格付けは業種Key Issuesに対する「管理レベルのピア比較」であり、関係ないデータをいくら追加してもスコアは動かない。MSCIのESG Corporate Search Tool(無料)で自社ページの「Key Issues」タブを開くと5〜7項目が表示される。そこに表示されない課題への開示充実は、MSCI向けには無意味だ。一方でCDPは「開示範囲の網羅性」を重視するため、Key Issues外の情報がCDP向けには有効なケースもある。「どの格付けのために、どの情報を整備するか」の戦略的分離が必要だ。
実務シーケンス戦略:最も費用対効果の高い着手順序
複数格付け機関を最も効率的に改善するシーケンスとして、以下の順序が推奨される理由を解説する。
- MSCIのKey Issues確認(今すぐ、0コスト):MSCI ESG Corporate Search Toolで自社の「Key Issues」を確認。5〜7項目の確認後、各イシューの現在のサブスコアと産業内パーセンタイルを把握する。ここから改善優先順位を決定する。
- SBTi目標の承認取得(CDP→MSCIの連鎖施策):CDPスコアを大幅に引き上げる最大の単一施策はSBTi目標の承認取得だ。CDPはAスコアにSBTを必須要件とし、MSCIも気候変動イシューでSBTを評価指標の一部として参照する。つまり「SBTi取得→CDP向上→MSCI気候スコア向上」の連鎖が期待できる唯一の共通施策だ。
- Issuer Communications Portal登録(年1回の機会を確実に行使):MSCIからの格付け更新通知メールを受信設定し、データ修正の権利を毎年行使する。年1回の窓口を逃すと次の機会まで1年待ち。承認後の処理期間は約20営業日。
- Sustainalyticsのガバナンス改定対応:v3.1(2024年)の変更点を踏まえ、社外取締役比率・リスク委員会の構成・ESG役員報酬連動の3点を確認し、開示形式を更新する。
- Scope 1・2の第三者検証取得:MSCI・Sustainalytics・CDP三者全てでポジティブに評価される共通施策。中規模以上の企業では費用対効果が高い(年間100〜500万円程度)。
投資家の視点:「CDPはA、MSCIはBBB」企業が割安株になるメカニズム
外国人投資家が優先するデータプロバイダーはMSCIとSustainalyticsであり、CDPは「開示水準の確認ツール」として参照される(Sodali 2024 Japan ESG調査)。日本企業の外国人投資家による評価平均は45/100、国内ESGリーダー企業でも68/100に留まる(出典:Sodali — 2024 Japan ESG外国人投資家調査)。
「CDP開示に熱心だがMSCIスコアが低い」企業は、実態より低い投資家評価で取引されている可能性がある。CDPの開示努力がMSCIの格付けに反映されておらず、かつ同業ピアと比べて改善余地が大きい場合、「過小評価された優良ESG企業」としてアクティビスト投資家の再評価対象になりうる。CFOとIR担当者がこの格付け構造を理解する意義は、自社株式への過小評価リスクを認識し、MSCIスコア改善を財務戦略の優先課題として位置づけることにある。
まとめ
- MSCIは「産業内ピアとの相対評価」、CDPは「開示の完全性の絶対評価」であり、設計思想が根本的に異なる。両者のスコアのねじれは異常ではなく構造的なものだと理解することが出発点になる。
- まずMSCI ESG Corporate Search Tool(無料)で自社の「Key Issues」5〜7項目を確認し、ピアとの差が大きいイシューから開示・管理体制の整備に着手する。
- MSCIのIssuer Communications Portalは年1回のデータ修正機会。格付け更新通知メールの受信設定を怠ると、古いデータが1年間スコアに反映され続けるリスクがある。
- SBTi目標の承認取得は「CDP向上→MSCI気候スコア向上」の連鎖が期待できる唯一の共通施策であり、複数機関同時改善の起点となる。
- Scope 1・2の第三者検証はMSCI・Sustainalytics・CDPの三者すべてでポジティブに評価される費用対効果の高い施策である。
参考文献
- MSCI — ESG Ratings公式ページ(17,000社対象)
- MSCI — Japan ESG Ratings Snapshot(60%エンゲージメント参加・11%向上)
- MSCI — APAC ESG Ratings Leaders and Upgrades 2024(Leader比率9.1%→17.4%)
- MSCI — Global Issuer Engagement 2023(31,200件・2021年比3.2倍)
- CDP — A-List 2024プレスリリース(462社・全体の約2%)
- Japan Times Sustainable — 日本企業CDP 2023(気候112社・水36社・森林7社)
- Sustainalytics — ESG Data(16,000社・1,800データポイント)
- Sustainalytics — State of ESG Risk 2023(グローバル平均24.3)
- Berg et al. — Aggregate Confusion: The Divergence of ESG Ratings(Review of Finance, 2022)
- Nossadata — CDP A-List vs ESG Ratings(35社が全主要機関でリーダー)
- Coty — ESG Rating Upgrades 2024(MSCI BB→A、Sustainalytics 23.9→18.1)
- Sodali — 2024 Foreign Investor Perspectives on ESG: Japan in Focus
- Morningstar — Sustainalytics ESG Risk Ratings v3.1 Enhancement 2024